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よみがえる「小坂鉄道」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月18日

秋田県小坂町長 細越 満

 

小坂鉄道は、明治42年に鉱山の発展とともに増大した貨物輸送用として鉱山会社が小坂・大館間で営業を開始した鉄道です。

小坂町の自宅から大館の高校に通う私は、毎朝毎晩、 電車の車輪の軋む大きな音が車内に響き渡る小坂鉄道の客車の中にいました。(小坂鉄道の車輌は、私の高校時代に電車からディーゼルカーに切り替わりました。)入学したばかりの頃は、 通学時に「応援歌練習」と称して、車中には他の乗客の方々もいるにもかかわらず大きな声で校歌や応援歌を歌わなければならないという、先輩達からの愛情あふれる伝統的儀式の洗礼を受けました。

野球部だった私は、毎日の勉強に加え甲子園をめざしての厳しい練習に疲れ、大館発の最終列車の車中では大きな音をものともせず深い眠りの中にありました。 それでも寝ぼけ眼で見た車窓からの景色は今でもよく覚えています。春には新緑で膨らむ山々、初夏には山々を覆うニセアカシアの白い花、秋には長木渓谷の色鮮やかな紅葉、 そして冬は一面の雪景色など四季折々の風景が今でも目に浮かんできます。その中でも特に印象深い風景は、大館と小坂の境界付近にあるトンネルから出た瞬間に眼下に広がる小坂町の夜景です。

当時の小坂町は鉱山町としての隆盛期にあり、鉱山会社の社宅がびっしりと並び建ち、そこに多くの人達が暮らしていました。社宅には会社所有の発電所から電気が無料で供給され、 夜になると鉱山の灯りとともに人々の暮らしの灯りで町一面が埋め尽くされ、目がさめるほどの本当に見事な夜景でした。

年月を経て鉱山の合理化などにより町の過疎化も進み、小坂町民の足として活躍した小坂鉄道の旅客営業は平成6年9月末をもって85年の歴史を閉じました。その後も製錬事業の貨物運搬は続けられましたが、 平成21年についに完全に営業廃止となりました。

小坂町には鉱山の近代化産業遺産が数多く存在しますが、明治43年落成の福利厚生施設である木造芝居小屋「康楽館」や明治38年に大鉱山のシンボルとして建設された「小坂鉱山事務所」が鉱山会社から町に譲渡され、 町ではまちなか観光の目玉として活用してきました。

廃止となった小坂鉄道も近代化遺産としての新たな活用策を模索してきたところです。ちょうどその頃、秋田県では「秋田県市町村未来づくり協働プログラム」を創設しました。これは、 重要な地域課題を解決するために市町村が提案したプロジェクトについて、企画段階から実施そしてフォローアップまで県と市町村が協働で推進するもので、 プロジェクトを実施する市町村に対し「あきた未来づくり交付金」を交付し、プロジェクトを促進する取り組みです。この制度により、県からの財政的そして人的支援をいただきながら、 康楽館・小坂鉱山事務所そして小坂鉄道を結ぶ「明治百年通り」のにぎわい創出事業に着手しました。

平成26年6月には、「小坂鉄道レールパーク」がオープンし、面影を残したままで改修された小坂駅舎、小坂鉄道で活躍したディーゼル機関車やラッセル車などを動態保存しているほか、 駅構内ではディーゼル機関車運転ができます。また、上野・青森間を走行し平成26年3月に定期列車としての運行を終了した「寝台特急列車あけぼの」の車輌4輌をJR東日本から購入し、 平成27年10月からは動く宿泊施設として活用しています。

今、小坂鉄道レールパークでの各種イベントに出席するたびに、私の頭の中には小坂鉄道の様々な思い出がよみがえります。そして、往時の小坂鉄道の賑わいを戻すことが私の夢です。