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嵐のあと

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年12月7日更新

福岡県吉富町長 冨 壽一郎

 

吉富町は、瀬戸内海に面した福岡県の東の端に位置し、町の東側を流れる一級河川の山国川を挟んで大分県中津市に隣接しています。面積は5.73k㎡、東西が約2㎞、南北が約3㎞に納まる、 沖縄県を除く九州では面積が最も小さい町であります。明治の廃藩置県で豊前中津藩から分離して福岡県の東吉富村となり、その後は一度も合併をせず昭和17年5月の町制施行で吉富町となり現在に至っています。 人口は、町制施行時から平成26年まで72年間7千人台を推移してきましたが、最近は6千8百人台までに減少しています。地勢は平坦で、町の中央にある小学校とJR吉富駅を中心に役場、町民ホール、 保健センターなどの公共施設が集積し、町内にはスーパー3、病院1、診療所6、歯科5、老人福祉施設4ヶ所、また田辺三菱製薬工場をはじめ多数の企業、事業所、店舗が立地し、 小さくても便利で安心して生活できる町であります。

こんな小さな町を小泉内閣時代の平成の大合併の嵐が襲って来ました。どこと合併するのか、しないのか、合併賛成、反対で町を二分する議論が沸きあがり、 一度は同じ郡内の3町村で法定協議会を設置し協議を重ねましたが、最終的には合併に加わりませんでした。その後、合併推進派はあろう事か県合併支援室の協力を得て、 隣接の福岡県豊前市との合併を模索し始めました。その結果、平成19年2月26日に、豊前市と吉富町に全国で唯一の合併協議会設置の知事勧告がなされ、議会も町長も勧告受け入れを表明し、 平成19年4月1日に法定合併協議会が設置されました。しかし、その4月下旬に町長と町議の同時選挙が実施されるため、豊前市との合併協議は選挙後ということになりました。

当時の町長は、5期20年間町政を担当していましたので、合併議論とは別に町の変化を望む町民も少なくはありませんでした。地元の農協に勤めながら町議3期目の私自身もそう考えていましたので、 1年位前から次期町長選挙に向けて立候補の意思表明をし準備を進めていた最中でもありました。この時、地方自治の最高の意思決定者は住民であるべきなのに、 規模と役割は違うが同じ地方自治体の一員である県が、熟慮と躊躇もしたとは思いますが、勧告をしたことに大きな疑問と憤りを禁じ得ませんでした。自分たちの町の将来は住民自らが決めるものだと、 町の未来は自分たちで創るものだと、それが自治であり地方自治の精神だと考えていた多くの町民の中に、合併勧告に対する対抗心が沸きあがっていました。

そんな状況下で実施された町長選挙で人口1万人をめざす町づくりと住民自治を掲げて、私は有権者の過半数の得票を得て当選し、就任後直ちに町内各自治会毎に行政懇談会を開催し、 町民の意思集約をして8月のお盆前に合併はせず単独の町づくりを進めることに決定しました。

早いものでもう9年目に入りました。就任直後から1万人をめざす町づくりとして、第3子以降の保育料と中学生までの医療費の無料化、子育て支援センターの設置、 就学前5歳児検診などの子育て支援施策を講じ、また英語が苦手どころかまったく駄目な私の経験から、町の子ども達には中学卒業までに日常英会話能力を身に付けてもらうため、町内の保育園、幼稚園、 子育て支援センターで行う全ての子どもに対する幼児期からの英会話教育事業を始めました。さらには高齢者の方々に肺炎球菌ワクチンの無料接種事業を導入するなど、 国や県の施策に先駆けた町独自施策を実施するとともに、以前からの住宅の新築や購入に対する定住化促進事業の拡充と老朽化した町営住宅の建替事業にも着手して、若者の取り込みを目指しています。 その他にも企業誘致、産業振興と幅広く実行してまいりましたが、町の人口は増えるどころか減るばかりです。今、私は地方創生総合戦略の策定を目前にし、これからの町づくりに3期目の全エネルギーを注ぎ込み、 地方の活性化実現に挑む毎日です。

今年度中には町内に初のビジネスホテルも開業します。機会がありましたら、是非一度九州一小さな町を訪れてください。