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町の存続危機をのりこえ県内人口増加率1位に

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年8月10日

町の存続危機をのりこえ 県内人口増加率1位に

沖縄県与那原町長 古堅 國雄

昭和24年に人口5,992人で旧大里村(現:南城市)より分離した与那原町は戦前戦後、海上陸上交通の要衝として栄えた町で、沖縄本島東海岸の拠点的な役割を担ってきた町です。 しかしながら平成の大合併離脱により、町の存続が危ぶまれたこともありました。そして日本一厳しいと言われた財政健全化計画を断行したにも関わらず、町民から何ら反発もなくまちづくりに 専念できたことは、行政との危機意識の共有と協力の賜物と心から感謝致しております。

与那原町は、県都那覇市から東へ9㎞、沖縄本島南部の東海岸に位置し、町域面積は5.18.で東西に約4.3㎞、南北に約2.1㎞の長方形をなしており、沖縄本島で面積の1番小さな町です。 東南の雨乞森(133m)、北西にそびえる運玉森(158m)に抱かれ前方に中城湾(なかぐすくわん)を望む海岸線にのびた平坦地です。

沖縄県推計人口で、2009年10月に対前年同月人口増加率で県内1位に輝いて以来、常に上位にランクイン、若年層が東浜に住みはじめ活気にあふれる町(現在の人口は18,700人)になりました。

<静と動をそなえた歴史と伝統ある町>

沖縄県にも今から100年前、汽車が走っていました。正式には「沖縄県営鉄道」といいますが、大正3年(1914年)12月1日に那覇駅から与那原駅まで、先の第二次世界大戦で破壊されるまで県民の 足として走り続けました。

与那原の港は古くから本島東海岸の中心的な港で、海上交通によって中北部地域と通じた物資流通上の要の地として、多くの物産の集散が活発に行われていました。実際に中北部の平安座、金武、久志、 宜野座辺りの黒砂糖は山原船で与那原に陸揚げされ、軽便鉄道で那覇に運ばれていました。与那原近郊から那覇方面への中学生や女学生の通学にも利用されるなど、与那原駅は沖縄県の物資交流、産業経済の 中心として大きな役割を果たしました。与那原駅は昭和20年の沖縄戦で破壊された後も、昭和32年からは改修され与那原町役場庁舎として利用、昭和50年からはJA与那原支店として利用されました。そして、 今年与那原に鉄道が走って100年、沖縄戦によって無残な姿にさらされた旧県営鉄道与那原駅舎を70年ぶりに復元させました。展示資料館として開館しましたが、過去の教訓として二度と戦争を起こさないと 誓う平和のシンボルでもあります。全国鉄道ファンにとりましても必見だと思いますので、どうぞお越し下さい。

与那原マリーナやマリンスポーツが楽しめるきらきらビーチなどアクティブな東海岸。水平線から昇る朝日が神々しい日の出スポットとしても見逃せません。

また、与那原大綱曳は、440年余続く沖縄三大大綱曳のひとつであり、沖縄の熱い夏の風物詩ともなっています。その起源は古く豊作祈願の神事として、琉球王国の尚永王(1573年~1588年)の 時代に始まったと言われ、旧暦の6月26日以降の最初の日曜日に執り行われます。東西に分かれた雌雄2本の大綱の結合により実りを予測し、勝敗によって豊作を占います。綱曳で使われる大綱は、水田 5000坪分の稲わらで編まれたもので、両綱合わせて重さ5トン、長さ90メートルにもなります。また、綱の途中に枝綱があることやカナチと呼ばれる綱の頭の部分の巻き方、綱曳の開始の仕方など一連の 流れに特徴があります。歴史上の登場人物を綱に乗せた大綱がまちを練り歩く様は、竜神のうねりのごとく勇壮です。また、大綱曳に参加すると無病息災、子孫繁栄の御利益があると言われており、町内外から 多くの方が訪れています。

<沖縄本島で面積の1番小さな町に大型MICE施設建設決定!>

現在、町を取り巻く一番の話題は、平成27年5月22日に沖縄県が大型MICE施設の建設場所を本町と西原町にまたがるマリンタウン地区に決定したことが挙げられると思います。MICE(マイス)施設とは、 国際会議や商談会、見本市、各種学会、大企業の団体旅行、コンサートなど、数千人から数万人規模を収容する国際的な多目施設のことです。MICE施設がマリンタウンに決定したことで、沖縄本島東海岸の観光 振興の起爆剤となり、与那原町をはじめ東海岸地域が、観光地として発展する千載一遇の大きなチャンスになります。

与那原町は、古くから現在に至るまで大綱曳をはじめとする歴史と文化を活かしたまちづくりと、コンパクトな町域を生かした観光地形成に力を入れてきました。伝統と新しいものが融合する町、住んでも良し、 訪れても良し、そして保育所から幼稚園、小中学校、専門学校、大学まで歩いて通える都市力をもった魅力ある町になりました。

『剣にも筆にもまして世の人を  動かすものは 誠なりけり』