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やっぱり、田舎はいいぞ!

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年7月20日

埼玉県美里町長 原田 信次

 

私の家は代々農家です。当町は、世界遺産に指定された富岡製糸場にも近く、大変養蚕が盛んでした。我が家も蚕が始まると、台所と寝る所を残し、全ての建物が蚕室になります。

私の記憶では埼玉県で収繭量が十本の指に入る程の農家だったようで、かいこあげ(蚕を繭をつくる場所に移す作業)には近所のおばちゃん十数人が手伝いに駆けつけ、あっという間に終わっていました。

ある程度の農業収入があったのでしょう、物心ついた頃には父から「農家はいいぞ、大きくなったら農業をやれ!」と洗脳されて育ちました。

迷うことなく農業高校へ進学、ところが、輸入生糸増で価格は下落。父は農協の常勤理事になり、まずは考える時間が欲しくて推薦で入れた農業系短大へ進学、卒業する頃には養蚕では先が見えず、 4年制学部へ編入、さらに先が見えなくなって卒業時は就職を選択しました。

美里町は、埼玉県の県北、群馬県に近い田園の広がる農村です。早くから農地の区画整理に着手し、ほぼ全域が農業振興地域です。昭和40年代の養蚕ピーク時は農地の七割弱が桑園でした。 冬期は近隣市への建設や工場への出稼ぎ、春から秋は養蚕という農家が多く、養蚕衰退後は、施設栽培への移行もうまくいかず会社勤めが多くなり、専業農家は激減しています。

平成に入り、耕作放棄地と化した桑園を転換すべく、果樹、特にブルーベリーを町が農家負担なしで強力に推奨し、植栽面積では日本一となりました。

話を元に戻します。私の就職後数年で父も農協を辞めて農業に従事、繁殖和牛、露地野菜、米麦と年間を通じて働いている割には所得が少ない。私も事情があって勤めを辞め、認定農業者として数年間従事しましたが、 単価の高いものを年間を通じて生産するか、効率的な大規模経営、またはその両方でないと安定経営は望めないと痛感しました。

町長の目で見ると、土地利用型農業なら大規模だし、集約型なら施設利用です。しかし、条件の悪い丘陵地や山間周辺部の農地は使われず、里山や用排水路の維持管理にまで目が届かない。 大規模効率重視の経営だけでは、集落としての農村が置き去りにされてしまうと感じています。

農村が守ってきた山河や農地は効率では持続できない、人が丹精込めて守るべき遺産であり文化です。この遺産をどう守り、次の代に引き継ぐかが、今、問われています。

全国町村会で提唱した田園回帰は、効率だけじゃない、人が生活する場としての農村のあるべき姿を掲げ、大変心強く思います。

高齢化した団塊世代や働き盛りの町内外の人が、ひとときの安らぎを求めて農村に関わることで、人も地域も元気になって守られるならば、一石三鳥にも四鳥にもなります。

当町でも団塊世代が続々と退職して地域に関わる方々が増えています。団塊世代は世の中の流行や思考をリードしてきた前例を覆すエネルギーを持った世代です。一旦、お金をかけずとも田舎が楽しめること、 田舎の良さに火が付けば、多くの人たちが楽しんで田舎と関わる流行が生まれると期待しています。

さらに、農薬や化学肥料を極力使わない作物なら、健康志向や良いものを少量食べたいと思う高齢層に好まれるのではないでしょうか。

東京に出るといつも感じていることがあります。

肩がぶつかるほどの人の多さに、「毎日が縁日だ! 祭りは必ず終わる。我が町なら自然や人の絆を感じ、人間らしい生活が出来るのに!」と心の中で叫んでいます。

同時に、「わが町に住みたくなると思わせたい!」と決意を新たにします。諦めずに思うこと、思い続けて挑戦すること。

必ず突破口はあるはず!

第二の人生は農業と決めています。

やっぱり、田舎はいいぞ!