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私のプロフィール

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月1日

栃木県那須町長 高久 勝

 

皆さん、こんにちは。那須町長の高久です。この度、平成 25 年 10 月号に引き続き、約 1 年と半年ぶりに栃木県から町村週報に投稿できますことを光栄に存じております。また、 読者の皆様の中には、観光で那須にお出かけくださいました方も大勢いらっしゃると思いますので、紙面をお借りいたしまして、衷心より御礼申し上げます。

さて、私は昭和30年生まれ。今年60歳の大台を迎えるということになりました。若い頃は、還暦などはるか宇宙の先にあるように感じておりましたが、とうとうその年齢に達し、月日の経つ早さを感じているところです。

私は、農家の長男として生まれ、地元の小中学校を卒業後、高校に進学しましたが、高校1年生の時に母親が他界したため、進学を断念し、家業を継ぐこととなりました。当時は、農業も現代のように機械化が進んでいないため、止むを得ない決断でしたし、21歳の時には、父親が半身麻痺になるなど、地元に残ることが天命だったように思われました。それから、専業農家として家業にいそしむ一方、社会奉仕と地域に住む人間の責務として、地域の様々な役職を経験させていただきました。

若いころから本を読むことが好きで、ジャンルを問わず、手当たり次第に読みあさった時代もありました。その中で、当時の若手国会議員で結成された「青嵐会」関係の本には、若い血潮が騒いだのを今でも鮮明に覚えているところです。そのようなこともあり、若い時から選挙応援には積極的に参加しておりました。当時、他人の選挙の黒子は長く務めておりましたが、自分が表舞台に立つことはないと思っていました。

ところが、平成15年に人生最大の転機を迎えました。町議会に5名の欠員が生じたため急きょ補欠選挙が実施されることになり、立候補することになってしまったからです。出馬表明から投票日までは、40日余り。夢中で選挙活動を行った結果、当選させて頂くことになりました。

その後、本選までの3年半、議員として住民との対話を重視し、その上で住民と同じ目線で活動を続けた結果、再選を果たしたところです。町の発展を目指して日々議員活動を続けておりましたが、当時、町内にある閉塞感打破と町政改革を訴えて、2期目の途中で町長選挙に立候補し、現在に至っております。

そしてちょうど就任1年目に、あの「東日本大震災」と日本人が初めて経験する「東京電力福島第1原子力発電所事故」が発生してしまったのです。一刻も早い震災からの復興と風評被害払拭に全身全霊をかけてきたところです。

今年は地方創生元年で、本町も人口減少、少子高齢化という大きな課題を抱えておりますが、子育て支援の更なる充実を図り、定住対策を推進するなど町の将来を見据えた持続可能なまちづくりを展開しております。また、那須町は年間に約500万人の観光客が訪れる観光業と農業の町ですが、開湯1380年の歴史を誇る那須温泉郷をはじめ、茶臼岳を主峰とする那須連山、豊富な食材など魅力あふれる様々な資源を積極的に発信してまいります。

私はこれまで自分の座右の銘に従い、「誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努め、誰よりも尽くし、そして誰よりも求めない」生き方をしてまいりました。しかし、昨年俳優・高倉健さんの座右の銘に接した時、今後の人生は「行く道は精進にて、忍びて終わり悔いなし」かくありたいと思いました。この言葉通り、那須町民のために不惜身命、精進してまいりたいと決意しているところです。