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自律と協働の町を目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年5月18日

青森県六戸町長 吉田 豊

 

私どもの町、六戸町は、青森県の東南部にあり、県南にある八戸、三沢と十和田、三市の三角形のほぼ真ん中に位置している。面積は、約84平方キロの平地農村で深い谷も高い山もなく、 源を十和田湖に発する奥入瀬川が町の中央よりやや南部を東西に流れており、その流域は水田地帯が、そして北部は丘陵となっていて肥沃な畑地が広がっている。

特産品には、生産者の技術と情熱が凝縮された品質の良さが自慢の「大玉にんにく」をはじめとする、ながいも、だいこん、ゴボウなどの野菜と、 噛めば噛むほど濃厚な旨味が口いっぱいに広がる「青森シャモロック」などがある。

自然に恵まれつつも陸海空の交通インフラが近隣周辺にあるので利便性が高く居住地として最適な所である。

現在人口は、1万962人(平成27年2月末現在)であり、前年同月比55人増で、平成24年度から着実に増加している。これは、当町の地理的要因もさることながら、 町民の皆様の理解を得て実施している定住施策や子育て支援施策が一定の効果をあげているものと考えている。

話しは少し変わるが私は、若いころオーストラリアとニュージーランドで過ごした。渡航のきっかけとなったのは、 当時のアメリカのブレジンスキー国家安全保障問題担当大統領補佐官が日本を訪問した際の紀行文であった。それは環太平洋の概念とともに、南米を含めた環太平洋諸国との関わり合いは、 経済分野のみならず各国発展に極めて重要なものとなっていくと記されていた。当時のオセアニア地域は、現在のように多くの日本人が行き来している国ではなかったが、この国々とは近い将来において、 間違いなく日本の大切なパートナーとなると確信し、渡航を決意した。

オーストラリアとニュージーランドで現地の方々と交流をしながら、異なる文化を実感し、生活をする中で、日本との違いを一番感じたのは、良い意味で国民に主体性があるということである。 何をするにも自分で決断し、責任を引き受けるいわゆる「自主・自立」の姿に深く感銘を受けたのを覚えている。今振り返ってみると、当時の体験が私の考え方に大きな影響を与えたと思っている。

私は、行政改革が叫ばれていた1996年1月に町長に就任した。自主財源の乏しい地方自治体には、何が必要かを考えた末、身の丈に合った適切な財政管理が一番重要だという考えに至った。 動き出し「自立」する前に、その基となるのは自分の身をしっかりと律する財政面の「自律」であると考えた。

当時は「予算至上主義」と「単年度決算」にこだわり「当初予算確保に全力を尽くすのが絶対」と思い込んでしまっているところがあった。私は予算編成の基本は守りつつも、 財政管理の電算化を通して固定概念を打破する財政改革に着手した。おりしも自治体の電子化が叫ばれていたので、予算の執行額をリアルタイムで管理し町財政の把握をするようにした。 各予算款項目から発生する大小の不要額を瞬時に把握し、有効な財源と捉え、予算のセクション枠を越えて合体させ、直ちに補正予算で次なる事業に対応できるよう予算の再構築を行い、 年度末までそれを繰り返す。今では、この機動的財務管理手法が職員に浸透し財源が少ない中でも、なんとかやりくりができるようになっている。

財政面の「自律」ができたら、次は自分で立ちあがり行動を起こす「自立」である。当町は、ちょうど今その立ち上がる時期にさしかかっている。幸い当町には、しっかりと町内会を支える人々がおり、 志のある若者達がいる。地域の人々が自律心を持ち協力し合い、笑顔で豊かに暮らしている「自律と協働の町」に私どもの町、「六戸町」も近づいていると信じている。 そのための施策を町民の皆様とともに進めていく決意である。