奈良県東吉野村長 水本 実
私は、昭和42年近隣の県立大宇陀高等学校を卒業し、東吉野村役場に奉職することとなりました。
当時は、公共交通機関である奈良交通の定期バスが村内を走っており、通勤通学にはそのバスを利用、朝のラッシュ時にはバス3台と大宇陀高校専用の民間スクールバス1台が連なって走っていました。 今でもその時の光景が思い出され、私達が子供の頃には地域で多くの友達と大声を出して遊び、夏には川で魚を取ったり泳いだり暗くなるまで遊び惚けたものでした。
私、訳あって平成17年月末役場を退職、38年5ヶ月の公務員人生を終えたのでありますが、平成18年5月、思いもしなかった村長選挙に出馬することとなり、当選をしました。
村長に就任した当時は、役場庁舎の建設を始め、簡易水道の普及率は100%、近隣町村との一部事務組合によって消防、ごみ処理、老人福祉の各施設等を広域で整備する等、多くの施設を一挙に整備、 結果として実質公債比率は、奈良県下でワーストワンが平成18年、19年の2年間続きました。今では消滅自治体、県下で3番目、全国でも19番目です。新聞や雑誌に掲載され、村内外から心配や厳しいお声を沢山いただきました。
地方交付税は、平成11年をピークに12年からは削減され続け、財政調整基金を始めあらゆる基金は底を突き、最悪の情況の中で選挙戦でも訴えたのですが、「先ずは行財政改革をさせて下さい。 財源が出来たら村には課題が山積していますので、その解決に向け取り組みます。」と言って、1期目4年間は、職員の削減と給与カットを始め、一般財源を投入してきた施策や各種団体、 機関への運営補助金は全て廃止する等、議会や村民の皆様そして職員にも理解と協力をいただき、職員気質丸出しで徹底した行財政改革に全力を傾注しました。そうした取り組みの中、何とか危機的状況を脱することが出来ました。
しかし、この4年間で13.5%の人口が減少し、少子高齢化は思う外進み45.3%の高齢化比率にまでなりました。
2期目は、少しずつではありますが、蓄えたお金を村民の皆様にお返ししていきますと言って、若者、子供を増やしたい、そんな一念で若者定住、子育て支援を中心とした施策を打ち出し、 生まれてから中学校卒業まで通院、入院、一部負担全てを村で負担する医療費の無料化や、働くお母さん方の支援をするため、小学6年生までを対象とした学童保育、幼稚園児の預かり保育も実施しました。
冒頭で述べた奈良交通のバスも乗客が殆どいなくなり廃止の事態となり、平成24年には、村内は村でコミュニティバスを運行、役場から近隣の近鉄電車の駅までは奈良交通にお願いをし、 高齢者の方々にも利用しやすいようにと、きめ細かく乗り入れる等、バス体系の整備もしました。この機会に高校へのバス通学に、定期代の8割を補助し、それまで1人程度しか利用しなかったものが、 今では11人が利用するようになっています。
そして3期目は、今やIT時代、クリエイティブビレッジ構想を打ち出し、インターネットによって仕事をし商売をする若者が増えており、都会のクリエイターと呼ばれる若者を村に呼び込み、 将来の移住・定住に繋げていきたいと、今、空き家を活用してシェアオフィスを整備しています。今年3月までには完成しますので、多くの方が活用、体験にお越し下さる事を願っているところでございます。
村に空き家バンクを活用して移住していただける方には、空き家の紹介と改修補助制度もあります。
来年度は、0歳児から預かる保育事業にも取りかかります。その他、高齢者の見守りシステムの整備や、新たな特産品の開発に併せ小さな道の駅の整備等、色んな新規施策を推進しつつ、 クリエイティブビレッジ構想の実現に全力で取り組み、私の幼い頃のように子供の声が村のあちこちで聞こえてくる、そんな村にすることを夢みて、 時には役職を忘れて「これしか道がない」そんな思いで職員時代と同じように息抜くことなく、時には職員から「課長」と呼ばれながら(笑)飛び回っています。
多くの皆様のご支援とご協力を心からお願い申し上げます。