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干拓地に描いたコミュニティデザイン

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月12日

秋田県大潟村長 髙橋 浩人

 

大潟村は、昨年、村創立50周年を迎えました。

日本で2番目に大きい八郎潟を干拓して戦後の食糧不足を解決するため、食糧生産基地として大規模機械化による効率的な農業を確立し、 近代的な農村社会を作ることを目的に昭和32年より干拓工事が始まりました。そして、昭和39年17,239haの新生の大地が誕生し、干拓地の新設自治体として大潟村が発足しました。

全国より、第1次入植から第5次入植と秋田県単入植を合わせて589名の入植者とその家族が入植し、役場や学校、農協などの勤労者と共に村づくりが進められてきました。

大潟村からは農業の話題が数多く報道されましたが、この50年は村づくりの魂でもあるコミュニティづくりにあったとも言えます。そして、そのことはコミュニティデザインの実践でもありました。

農業においては、事前の訓練や営農指導が行われ、指導や相談の体制が整っていました。しかし、コミュニティづくりにおいてはそうしたことは一切なく、 村民自ら白紙にデザインして行かなければならなかったのです。

昭和43年、第一次入植者の営農開始と共に、はじめに取り組んだことは近所付き合い、村の親戚づくりです。幸い、営農グループが結成され、そのグループを中心に絆を深めていきました。

次に、消防団を結成しました。農家9名勤労者6名の15名でスタートしました。初めての営農で大変な苦労のなか、災害から村を守る組織をいち早く立ち上げたことになります。 消防団結成20周年の記念誌で団長が述べていることは「・・・・歴史もなく伝統もない新しい村づくりの消防組織ですので、一日一日の活動そのものの積み重ねがやがて歴史となり伝統になるのだと考えれば、 大変意義深い仕事であると思います。」と結んでいます。その後、行政関連の団体、婦人会や青年会の結成、趣味のサークルやボランティア団体など、村民自ら立ち上げていきました。

そうしたなかで、「心のよりどころが欲しい」という村民の思いを結集して、神社建立奉賛会が昭和48年に立ち上がりました。三重県出身の奉賛会委員が中心となり、 伊勢神宮の式年遷宮の社を一つ頂きたいと運動を起こします。しかし、「全国から古材が欲しいという要望があり、一つの社をすべて払い下げるのは無理」と断られました。 それでも、粘り強い交渉で「瀧原竝宮」の譲渡が決まり、第60回式年遷宮の際に譲り受け、村民の寄付と合わせ昭和53 年に格式高い大潟神社が建立しました。神社の祭神には天照大神と豊受大神、 八郎太郎大神が祭られています。全国から神様も集まり、それぞれ天照大神は太陽の神様、豊受大神は農耕の神様、八郎太郎大神は水の神様と三神を祭る農業の村にふさわしい神社となりました。 神社の例大祭には、毎年、お囃子とともに若者が神輿を担いで村内を練り歩き、賑やかな村祭りとして定着しています。

昨年、50周年に当たり、記念事業の基本構想を「大潟村の歴史をみつめ、次世代に伝える」「記念式典・記念事業を通じ、 村民が集い絆を深める」「大潟村の情報発信とブランド化を推進する」「今後100周年に向けた村づくりの起点とする」の四点に集約しました。そして、村史の刊行、歴史写真展、全国市町村交流レガッタ、 村民運動会、国民文化祭川柳の祭典・ジオパークの祭典、日本農業・農村への提言とする連続フォーラム、記念式典等を開催しました。特に、記念式典においては「大潟村未来宣言」を行い、 100周年に向けた新たな村づくりの起点としたところです。

日本はいま、農政の大きな転換期を迎え、TPP等の貿易自由化の圧力も強まっています。また、少子高齢化、農業の担い手不足等、農業・農村をめぐる情勢は決して楽観はできません。一方、 地方創生に示されるように日本の再生に、農業・農村への期待は大きいものがあります。大潟村はそのような新たな国民の期待に応えるため、「大潟村未来宣言」の具現化を図るべく、 コミュニティデザインを村民と共に進めてまいります。

何とぞ、今後とも大潟村へのご支援とご指導を心からお願い申し上げます。