ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 村営船がつなぐ七つの島々

村営船がつなぐ七つの島々

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月31日更新

鹿児島県十島村長 肥後 正司

 

『汽船も亦道路なり』。これは中之島に建つ十島村の航路開設記念碑の碑文です。

十島村(トカラ列島)は、屋久島と奄美大島間の洋上に点在する7つの有人島と、5つの無人島で構成された南北160㎞の「日本一長い村」で、往来には空便は勿論、陸便も無く、 ただ一隻の村営船(フェリーとしま)で行き来するしかすべがありません。

冒頭の碑文は、十島村への道として、「汽船が道路に匹敵するものである」と、この航路に託した先人たちと、現在に生きる村民の思いを込めた言葉です。

この村営船により、人や物を運び、産業を興し、教育・医療の充実をはかり、十島村の全てが成り立っております。村営船無くして村の存続はなく、命綱とも言える大事な任務を担っております。

その村営船がつなぐ十島村の七つの島々の一端をご案内します。

鹿児島港を23時に出発した村営船は、翌朝5時10分に最初の島「口之島」に到着します。北緯30度線が通るこの島は、 昭和27年まで米軍占領下にあった国境の島として知られるところです。「野生牛」が息づき、「タモトユリ」が純白の美しい花を咲かせる島です。

次の寄港地「中之島」には、45分後の午前6時05分に到着します。

歴史民俗資料館や天文台が設置され、集落内の天然温泉と共に人気のスポットとなっています。島の北部には「トカラ富士」の愛称にふさわしい「御岳」(979m)がそびえ、 麓には「トカラ馬」が放牧され、愛らしい姿を眺めることが出来ます。

更に1時間10分南下して午前7時25分、「平島」に到着です。平家の落人伝説が伝えられ、十島村の中でも最も昔からの風俗を継承しているこの島には、ビロウなど亜熱帯植物や、 樹齢千年を超えるガジュマルの古木など手つかずの自然が残されています。

平島を出港した村営船は午前8時20分「諏訪之瀬島」に到着します。今なお噴煙を上げる「御岳」は200年前の文化の大噴火で全島民が避難を余儀なくされ、 70年間無人島となった苦い歴史を持っております。その後奄美大島からの入植者等が現在の島の基礎を築き上げたものです。 新緑の季節に咲く「マルバサツキ」は薄紫のジュウタンを敷き詰めたような美しい景観を誇っています。

更に、45分南下すると信仰心の厚い島でもある「悪石島」に到着します。旧暦の盆行事最終日に現れる「仮面神ボゼ」は民俗学的にも非常に重要な祭祀と言われ、毎年多くの人々が訪れております。 また学童疎開船「対馬丸」の記念碑も建っています。砂蒸し温泉、海中温泉は、島民や観光客に親しまれております。

悪石島から約1時間10分の航海の後、「小宝島」に到着です。周囲4㎞で十島村最少のこの島には、アダンやソテツなど亜熱帯植物が自生し、南国情緒を味わえる島でもあります。 珊瑚礁の割れ目から沸き出す露天風呂は島民や訪れる人の憩いの場になっています。

十島村有人島最南端の島「宝島」には鹿児島港出港後12時間余りかけて到着です。イギリスの海賊「キャプテン・キッド」が財宝を隠したと言われる鍾乳洞があり、 青い空と珊瑚礁でできた白い砂浜、エメラルドグリーンの海と、自然が織りなす美しいコントラストは訪れる人々を魅了します。

村営船は十島村の島々を結び奄美大島に14時30分に到着した後、翌朝3時に復路の為奄美大島から十島村の7つの島々を北上し鹿児島港に帰り着き、3日間をかけた往復870㎞の一航海が終わります。

私ども十島村にとって、村営船と7つの島々は切っても切り離せない関係にあります。この村営船がつなぐ7つの島々を守り継承していくことが、先人から今を託された者の使命として、 日夜奮闘しております。

「♪波路はるかな300キロの海につらなる島々よ・・・十島十島われらの十島・・・」。この歌は、村民や出身者の誇りと希望、そして郷愁の歌として歌い継がれている「十島のうた」です。