新潟県阿賀町長 神田 敏郎
阿賀町は、新潟県の東部に位置し、福島県会津地方を県境としており、春夏秋冬自然の景観に恵まれたところであります。
明治19年までは、福島県(会津)に属していた地域であったことから、全国的にも珍しい「両属の地」として、会津と越後の歴史と文化が垣間見える町であります。
町の中央を貫流する全国でも有数の大河「阿賀野川」は、栃木・福島県境に源を発する阿賀川から阿賀野川と名を変え日本海に注いでおり、その流路延長は210㎞余り、 流域面積7,700k㎡余に及びます。
かつては会津と越後の物流を繋ぐ舟運の拠点であり、日本三大河湊として栄えた歴史は、今日「舟玉まつり、帳祝」として毎年2月11日に執り行われており、 往時を偲ばせるイベントとなっております。
また、豊富な阿賀野川の水量を生かした水力発電所が町内に数多く立地しており、日本経済のエネルギー源として寄与しているとともに、町においても多大な恩恵を享受しているところであります。
満々と水をたたえたダム湖は漕艇場として活用され、国体・インターハイ・全国市町村交流レガッタなど、全国レベルの大会会場として利用される一方、 春夏秋冬うつろい変わる風景が楽しめる舟下りや遊覧船も多くの観光客に楽しんでいただくなど、正に地域活性化の資源として活用されているところであります。
加えて本町は、県都新潟市から高速道路(磐越道)で約40分、一般国道49号線では、約1時間弱で中心部に到着できる距離にあるほか、SL運行が人気のJR磐越西線が通じているなど、 年々交通網の整備が進められてきているところでもあります。
しかし、平成の大合併により、新潟県に存在していた112町村が30市町村となり、全国的にも合併優良県となる中、本町も平成17年4月1日東蒲原郡4か町村の対等合併により誕生したものであります。
当初の人口は約15,000人ほどでありましたが、10年目を迎えた今日、13,000人弱にまで減少してきており、高齢化比率は42%と県下最上位にランクされるまでになっております。少子化と相俟って、 益々過疎化が進行してきている現状であります。
一方、町の面積は、約953k㎡と県下3番目の広さ故、人口密度は極端に低い状況にあります。しかも、119区に及ぶ行政区が存在しており、その維持機能が危ういところとなっていることから、 思い切った人口減対策が大きな課題となっております。とりわけ、豪雪地帯でもあることから、冬期間の生活は高齢化している中で一層の負担となっており、この状況の打開策に難渋している現実でもあります。
新町発足以来、合併効果が実感できるようにと、福祉保健医療の充実、上下水道をはじめ生活環境の整備、集落維持機能の向上を図るための生活道路整備、 次代を担う子どもたちの教育環境を整えることに加えて、広い地域での生活行動に伴う交通の利便性の確保などの政策展開に努めてきたところでありますが、次々と新たな課題に対応しなければならない現実は、 新町なるが故のことか。
これからは、何といっても恵まれた自然の中で、地域資源を活かした町づくりは必須の要件であると考えています。
特に町土の94%を占める広大な森林資源と、規模は零細ながらも、きれいな水と空気、大きな寒暖の差から産出されるおいしい米をはじめとする農産物や山菜などの産地化を図るため、 より一層の農林業の活性化を推進することが必要ではないかと思っています。しかし、特に近年サル・クマなどの出没による被害は農家の生き甲斐を喪失させるものとなっているほか、 このところは集中豪雨による山腹崩壊・道路決壊が頻発するようになって来ていることは、荒れた里山の整備の遅れがその要因の一つとも言われております。
そこで本町では、里山整備による間伐材を有効活用し、ペレット化による燃料生産の取り組みにより、CO2の吸収量の増加とペレット燃料によるCO2の排出削減を実現することによる森づくりを推進しています。 また、林家の森づくり意欲の向上により林業を再生することは、低炭素社会の実現にも大いに貢献することとなるほか、 立町の基本理念である「豊かな自然 輝く文化 みんなで築く安心のまち」に沿うものでもあることから、町民が合併効果を実感できる一歩に近づくものとの願いを込めて取り組んでいるところであります。