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若者が地域をつくり、地域が若者を育てる

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月13日

群馬県高山村長  荒木 毅

 

自主自立路線を貫く

高山村は群馬県の北部に位置し、人口4000人の典型的な農山村です。明治22年に2つの村が合併し誕生しましたが、それ以来一貫して自主自立路線を歩み、今年で124年目を迎えました。 これといった特徴もなく、大きな観光資源もありませんが、農山村としての堅実な行財政運営は、村の伝統として代々受け継がれてきました。

昭和60年代から平成にかけて、リゾート法の整備などと相まって、世の中はバブル景気にわき返りました。開発競争ともいうべき時代に入り、当村にもいくつかの開発話が持ち込まれましたが、 終始抑制的な方向で対処してきました。あるときには、そのことがほかの町村に遅れをとるとか、平凡なつまらない村だとかの批判もありましたが、今になってみると、 やはりその路線の正しさが証明されているのではないかと思います。

「たがやそう高山村」

私は平成18年春、村長に就任しましたが、当初から村民皆さま一人ひとりの生活、あるいは一軒の家としての暮らし方を常に念頭におき、行政が脚光を浴びるのではなく、 村民皆さまが主役になっていただかなければならないと言い続けてきました。「たがやそう高山村」は私のブログのタイトルですが、それに続いて「心に響く美しい村へ」としてあります。 今後とも村民皆さま一人ひとりの幸せ感、幸福度を追求する姿勢で行政執行にあたっていきたいと思います。

目覚ましい協力隊の活動

平成22年、わが高山村に素晴らしい風が吹き渡りました。その年4月に着任した「緑のふるさと協力隊」は大学を終えたばかりの2人の娘さんですが、1年間の活動の成果は目覚ましいものがありました。 かねてから「協力隊」の存在は承知していましたし、興味もありましたが、「果たしてどうか」とその効果に確証がもてないまま3年が過ぎていました。しかし、従来型の交流事業、交流ビジネス、 箱物行政に限界を感じるなかで、やはり最後のキーワードは人にあると考え、派遣を要請することになりました。私は常々、都市と農村が対立するような捉え方はどちらにとっても不幸であると考えていましたし、 お互いが理念を共有し、それぞれの立場、役割について尊敬し合える関係を構築していかなければならないとの思いも強くありました。そのためには、 まず何もない村・平凡なつまらない村という村民皆さまの意識が変わらなければならない。もっと自分たちの日々の生活に自信をもち、平凡な毎日を過ごせることに、 感謝や驚きをもたなければならないと思っていました。協力隊のお2人は、この点について申し分のない活動をしていただいたと感じています。村内どこへ行っても喜ばれ歓迎されてきました。

若者と地域の学び合い

若い娘さんが土にまみれ、真剣に農作業のお手伝いをする姿は、驚きの目をもって迎えられました。それとともに自分たちが平凡なこと、つまらないこと、あたりまえとしてきた事柄について、 こんなにも新鮮な見方があるのかということを教えていただいたと思います。このお2人はどちらも非農家の出身ですから、すべてが発見の連続だったのかもしれません。すなわち村全体が、 1年かかって協力隊にいろいろ教わった、多くのことに気づかされたということになりました。

春先に種を播き、あるいは苗を植えて、それが成長し秋に収穫を迎えるという自然のプロセスと、そこに生活する人びとの在り方は、 人間としての原点を知らないうちに実践しているといってもよいのではないかと思います。自然と常に向き合うなかで得られる「生きる力」「生きられる力」は、都会のオフィスにはないものでありましょう。 協力隊のお2人も、村民皆さまとの交流のなかで、今までの自分たちにはなかったある種の「生きる力」を体感していただけたのではないかと思います。

お互いの学び合いのなかで、若者が地域をつくり、地域が若者を育てるということを最近考えています。「緑のふるさと協力隊」の受入は今年で4年目を迎えました。