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ふるさと

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月4日

宮城県蔵王町長  村上 英人

 

私は朝5時に起き、愛犬“和太”とジョギングしながら、雄大な蔵王連峰を眺め、田の畦道でひと息つく。張りつめた空気の中で、太陽に向かい「今日も町民をお見守りください」とお願いする。

私にとって、蔵王の景色や自然環境は大切な宝物であり、この地に生まれ住んで本当に良かったと思っている。そして、この環境を誇りに、将来へ大切に継承しなければならないと強く思う。

高校卒業後に上京し、2年間、東京の専門学校で観光を学んだ。

その後、宮城県内の観光開発に携わる会社に就職し、出身地の蔵王町にスキー場開発の話があった時、宮城蔵王観光㈱に出向した。社員研修は朝から深夜まで厳しく、 サービス業のイロハと人間関係の大切さを学んだ。研修の道場長から、「この世に偉大なる師あり。その名を母という」、「真夏の雑草の如く強くたくましく」という言葉が贈られ、 今でも私の心の支えになっている。

携わった「みやぎ蔵王えぼしスキー場」が1979年にオープンした。当時私は営業課長として、東京でのセールスが中心だった。宮城蔵王の知名度は低く、 旅行会社を何度訪問しても門前払い同然だった。仕事を投げ出してしまおうかと何度か思った時があった。

しかし、スキー場に大勢のお客様を呼ぶことが地元発展につながる。会社や地元の役に立ちたい一心で励んだことを今は懐かしく思う。

蔵王町は宮城県南部、蔵王連峰の東麓に位置し、蔵王国定公園の国有地が町の3分の1を占める。基幹産業は農業と観光。果樹、野菜、養鶏、酪農等が盛んで、多彩な生産物は食材の宝庫と自負している。

開湯4百余年の遠刈田温泉など豊富な観光資源があり、山岳観光道路「蔵王エコーライン」が開通後50年を迎え、年間160万人の観光客に訪れていただいている。

専門的に学んだ観光、社会人として観光会社で働いたことで、本町の観光や交流人口などに対する思い入れは人一倍強い。だからこそ、 自然環境や観光資源に恵まれた町をもっと全国に知られるように発展させたいと強く願う。営業経験を持つ私は、そんな思いを胸に秘めながら、いま町政運営に当たっている。

本町は、4年前に環境保全宣言の町を掲げ、良好な環境の保全と創造に向けた環境行政を進めるため、昨年10月に環境基本条例を施行した。今後、環境への負荷軽減を図り、積極的に推進しなければならない。

さらには、蔵王のシンボル「御釜」を始めとした地質学的遺産「蔵王ジオパーク構想」を掲げ、日本ジオパーク認定を目指し、取り組みを始めた。 蔵王連峰を中心に山形・宮城両県の自治体が連携し、推進していきたい。地形や地質だけにとどまらず、教育、環境保護、地域づくり、産業振興、防災など総合的なまちづくりにつなげて、 地域の活性化を図っていきたいと思っている。

未曾有の3・11東日本大震災を経験し、温泉を抱える本町も住宅や道路、上下水道等の被害があった。

地震発生から少し落ち着きを取り戻した頃に、沿岸部自治体から「温泉入浴ができないだろうか」と問い合わせが殺到。すぐに温泉入浴を開始し、大勢の方々に喜んでもらった。 温泉のある町だから、「何かできることはないか」と、避難所からバスで送迎し、温泉入浴や食事などを楽しんでもらった。

さらに、旅館ホテル等宿泊施設での二次避難者受入や一・五次避難者支援事業にも取り組み、避難者が心身のリフレッシュができるように交流に努めた。

私の願いは震災からの一日も早い復興にある。こうした事業も自然環境を大切にし、温泉などの観光資源を持つ地域だからこそ叶うものだろうと思う。

本町の自然環境の良さから、町内には別荘地も数多く、全国から沢山の人が訪れている。温泉を生かしたイベントや大会の誘致開催をしながら、交流人口を増やしていきたい。

近頃“ふるさと”の歌を聴く機会が続く。「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」、じんと胸が熱くなる。

これからも蔵王の自然や景観を大切にして、自然と調和した、安心できるまちづくりを未来に伝えたい。