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水の恵みを大切にする心

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年10月7日

栃木県那珂川町長  大金 伊一

 

那珂川町は、栃木県の北東部に位置する人口約1万9千人の町です。町の中央を那珂川、東に武茂川、北を箒川が流れ、八溝山系の山々に抱かれた自然豊かな町です。

那珂川町が古代から那須の中心地として栄えたことは、国内最大規模の郡役所「那須官衙遺跡」(国指定史跡)があったことが物語っています。また、駒形大塚古墳をはじめ、 那須八幡塚古墳、神田城跡(いずれも国指定史跡)などたくさんの文化遺産が発掘調査により明らかにされてきました。これらが営まれたのは那珂川の支流、権津川の右岸段丘上の三輪地区で、 山や川からの食糧調達が容易で、水運に適する場所であったと考えられています。

このように、古代から水が重要な役割を持ち、私たちの暮らしにさまざまな影響を与えていたことがわかります。

雨が降れば山から川に流れ大地を潤し、海に流れてさまざまな動植物に生命力を与えてくれます。また、山の木々は大地に根を張り、水を含んで、水害や土砂くずれなどを防ぎます。 そして、樹木の葉からは二酸化炭素を吸収し、酸素を作り出すなど、動植物を生かし、地球温暖化を防止します。山の中では自然界のさまざまな虫や鳥たちの営みを観察することができます。 私たち日本人は農耕民族であり、昔から自然に対し畏敬の念を抱いてきました。しかし、現代においては、あまりに便利になりすぎてしまい、それを忘れてしまったのではないでしょうか。

平成23年3月に起きた東日本大震災は日本中を震撼させました。津波がまるで生き物のように住宅や道路、田畑などを飲み込んで、壊しながら進んでいくのです。テレビでその中継を見ながら、 まるで映画でも見ているような錯覚を覚えたのは、私だけではなかったのではないかと思います。

那珂川町においても、震度6弱の烈震に見舞われました。山が崩れ田畑に土石流が堆積、牛舎が流され、牛が生き埋めになるなど、大きな被害に見舞われ、災害救助法適用市町村となりました。

しかし、壊れたものは元通りに直せばよいのですが、原子力発電所の事故は30年以上に亘って放射能が自然界全体に大きな影響を与え、廃炉にすらできない状況です。

那珂川町では「自然と共生するまちづくり」を政策に掲げ、今年度、自然エネルギーへの転換を図るため、防災対応型の太陽光発電施設を設置する予定であります。また、 製材会社がバイオマス発電を実施する計画があり、その余熱を利用し、うなぎの養殖やマンゴーの栽培を行うなど、新たな夢が広がっています。

それには、町の面積の64%にも上る森林資源が今、一斉に伐期を迎えており、それらを伐採して新たに植林しないと循環しないのです。現在、木材価格の低迷により手入れができず、 山の荒廃が進み、中山間地域では暮らしていけず、都市に人口が流出しているのは、全国的な現象になっているのではないでしょうか。農山村の少子高齢化ばかりでなく、 日本全体が少子高齢化となっていますが、今速やかに日本の森林資源を活かすしくみづくりに着手しなければ、今まで脈々と守り続けてきた山を後世に引き継ぐことはできません。 大変危惧しているところであります。

また、那珂川町は古くから温泉の恵みを受けて来ました。肌が滑らかになり、「美人の湯」とも呼ばれている「馬頭温泉郷」や成人病などに効果がある「まほろばの湯」。 塩分を含む温泉水を使って養殖した「温泉トラフグ」は、民間の会社が試験的に実施し、大成功を収めました。今では、旅館や飲食店などで取り扱われ、町の特産品の一つにもなっています。

那珂川町の町名にもなっている那珂川は、関東の四万十川と称される清流で、天然鮎の漁獲量日本一で有名な川であり、 今年も6月1日の鮎解禁日にはたくさんの太公望が釣り糸を垂らす姿が見られました。

八溝山系の豊かな緑に守られ、古代から受け継がれて来た「水の恵みを大切にする心」を、後世に引き継ぐ使命を強く感じているところです。