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基地返還と町づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年6月3日

沖縄県北谷町長 野国 昌春

 

北谷町は沖縄本島中部に位置し、北は嘉手納町、東は沖縄市と北中城村、南は普天間飛行場がある宜野湾市に隣接し、西側は全て東シナ海に面しています。

町の総面積は13.78k㎡で南北5.9㎞、東西4.3㎞と形状はやや長方形で、県都那覇市から約17㎞に位置しています。

戦前までの北谷は農村として栄え、特に字北谷を中心とした玉代勢、伝道にまたがる水田は「北谷ターブックヮ」(大規模水田)と呼ばれ、県下の 三大美田の1つに数えられていました。

しかし、第二次世界大戦において米軍の沖縄本島上陸地点となった北谷は全域が米軍の占領地となり、終戦とともに田畑は兵舎や飛行場へと姿を変えました。

昭和23年には、米軍嘉手納飛行場が拡大されたことから嘉手納町が分村することになり、村土の大半を占める米軍基地の存在は、村の振興の妨げとなり、 まちづくりや生活環境の整備に大きな障害となっていました。

しかし、沖縄の祖国復帰を記念した「若夏国体」時の社会資本の整備と前後して公有水面の埋め立てや山間地の宅地開発による発展で、人口が1万5千人を 越えたことから昭和55年に町制へと移行しました。

町制移行とほぼ同じ時期に返還されたハンビー飛行場、メイ・モスカラー射撃訓練場の跡地利用を促進するため始まった西海岸総合整備計画によって、 ハンビー地域、美浜アメリカンビレッジ、野球場・陸上競技場を中心とした運動公園、大規模駐車場が整備され、西海岸地域において商業の集積が進むなど、 賑わいのある街として県内外から注目されています。

また、約5.6㎞にわたる西海岸は美しい珊瑚礁が広がり、ダイビングやサーフィン等のマリンスポーツが楽しめる観光・リゾート地としての魅力を備えています。

春には中日ドラゴンズのキャンプが楽しめます。海のイベントも多くシーポートちゃたんカーニバルは沖縄を代表する夏の行事となっています。

町では新たにアメリカンビレッジ、デポアイランドに隣接するフィッシャリーナ地区(魚・漁業のフィッシュと劇場のアリーナを組み合わせた造語)の整備を 進めています。「海にも人にも優しい空間」。子どもからシニア層まで幅広い年代の人たちが楽しめるウォーターフロントの街づくりを進めています。

西海岸の街づくりのコンセプトは「安・近・楽」。すなわち「安くて、近くで楽しむ」で、北谷に訪れる人たちが安全で安心に過ごし、存分に楽しんで頂くことです。

さらに、この地区は環境問題と健康づくりに力を注いでいます。決まった場所以外での喫煙、飲酒、空き缶のポイ捨てが条例で禁止されています。そして 西海岸地区には6.8㎞に及ぶウォーキングコースができます。町民や訪れる人たちの健康づくりと夕陽を楽しむスポットになると思います。

北谷町には、町民共有の文化財が数多くあります。うちなぁ家の「旧目取真家主屋」「旧崎原家ふーる(便所)」は、国の登録有形文化財として平成24年2月 告示されました。

平成15年のキャンプ桑江北側地区返還後、発掘調査した伊礼原遺跡は、時代の異なる遺構が幾重にも重なって存在し、縄文早期(約6000年前)、前期 (約5000年前)、中期(約4000年前)、後期(約3500年前)、弥生時代(約2000年前)、グスク時代(約800年~500年前)と連綿と続き、遺跡から木の実や イノシシ、魚の骨や歯、首飾りや石器が出土しました。

また、曽畑式土器約数百点が発見されています。曽畑式土器は、九州の西海岸で出土している縄文時代前期を代表する土器であります。歴史的にも貴重な 出土品が数多く発掘されたことから、「伊礼原遺跡」は平成22年2月22日「国指定史跡伊礼原遺跡」となりました。

北谷町は文化・芸能も盛んです。12年ごとの寅年に行われる北谷大綱引き、旧盆には町内各地区の青年によるエイサー、獅子舞、村芝居等々数多くの行事が 先代より受け継がれています。

結びになりますが、北谷町は未だ町面積の約53%が米軍基地です。基地から派生する爆音被害、軍人・軍属絡みの事件・事故、返還跡地における土壌汚染等々 悩みはつきないものです。粘り強く基地負担軽減に努めていきたいと思います。