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『魅力と活力のある、輝く町』の実現に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年5月13日

佐賀県玄海町長 岸本 英雄

 

佐賀県玄海町は、東松浦半島の西部中央に位置する人口約6300人の小さな町です。

玄界灘に面したリアス式海岸は、玄海国定公園に指定されています。基幹産業は農畜産業と漁業で、米作、ハウスミカンやいちごの施設栽培、畜産業、鯛などの養殖漁業が盛んに 行われています。この玄海町に原子力の灯がともったのが、今から38年前のことです。昭和50年に1号機が、平成9年には4号機が営業運転を始め、いまや九州全体の約30%の電気を 生み出す、九州で最も大きな電気の生産地となりました。当時の玄海町は農漁業以外の就労の場が少なく都会への就職人口流出などによる過疎化が進み、著しい人口減少が続いていました。 しかし、先人達の大きな決断により原子力発電所というまさに一大企業誘致が行われました。このことは、玄海町の経済状況や生活環境に大きな変化をもたらしました。原子力発電所に 関連する仕事に携わる人が増え、人口減少にも歯止めが掛かりました。また、電源三法交付金事業により、道路、水道施設をはじめ、産業、福祉及び教育文化施設など様々な公共施設が 整備され、中でも農業、漁業の基盤整備により経営の安定が図られました。

玄海町は、エネルギー資源に乏しい我が国のエネルギー政策に大きく貢献し支えてきたと自負致しております。その様な中で、私が町長に就任して4年目の平成23年3月11日 第1回定例会議の一般質問中に東日本大震災は発生いたしました。まさか、日本の原子力発電所がメルトダウンをおこすなど考えてもみなかったことが現実に起こり、大変ショックでも あり気が滅入る日々を過ごしました。議会では、福島第一原子力発電所事故後、最初に再稼働の容認をして頂きました。これは、安全を第一に考えた上でも玄海原子力発電所は他の国内の 発電所より地震も少なく立地的に安全であり、原子力発電の再稼働は国民経済にとっても重要であると判断されたものであると考えております。このような判断をして頂いたことは、 大変ありがたいことだと思いました。しかし、当時の菅総理の「ストレステスト」実施の表明により白紙状態に戻ったわけであります。その後、現在、4機ある全ての原子力発電が停止の ままになっており、再稼働の目途は立っておりません。政権が交代し、原子力発電ゼロの空気は和らいで来ておりますが、今後のエネルギー政策の見通しは明るいものだとは言い切れません。

このような状況にあり、これまで考えてきた「まちづくり」を大きく転換せざるを得ない状況に陥っております。しかし、立ち止まっているわけには参りません。これまで原子力発電に 依存してきた町から、「原子力発電所のある町ではなく、原子力発電所もある町」へと政策を展開していきたいと考えております。

平成23年5月に九州大学との共同研究施設である「玄海町薬用植物栽培研究所」をオープンし、甘草をメインに薬用植物の研究に取り組んでおります。また、平成25年7月には 「次世代エネルギーパーク」も九州電力のエネルギー館に併設してオープン致します。この施設は、次の世代を担う子ども達に次世代のエネルギーを見て、触れて直接体験できる 学習の場を提供するものであります。さらに、平成27年度には「全国棚田サミット」の開催も予定されております。全国からお越しいただくことは、玄海町の魅力の発信が出来る よい機会であり、これを今後の交流人口の拡大のきっかけとして、町の経済発展に繋がるよう取り組んでいきたいと思っております。

皆さんも一度機会がありましたら、是非玄海町へお越し頂きますようお待ち致しております。