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まちづくり日本一をめざし

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年4月22日

滋賀県豊郷町長 伊藤 定勉

 

豊郷町は滋賀県東部に位置し、人口7400人余り、面積は7.8k㎡の滋賀県で一番小さい平坦な町で、約6割を田畑、約2割を宅地が占め、旧中山道が町を南北に横切る 田園風景の残る町です。

また、豊郷町は近江商人の発祥地の一つであり、現在の丸紅、伊藤忠の創業者である伊藤忠兵衛をはじめ、あけぼの印缶詰の創始者の藤野喜兵衛にフランスの勲一等が 授けられ、ヨーロッパの芸術界で有名なバロン薩摩こと薩摩治郎八の出身地でもあり、こうした先人を輩出したわが町には、日本一(東洋一)のものが2つあります。

一つは、灌漑揚水事業です。豊郷町は元来、鈴鹿山系を源流に琵琶湖に注いでいる犬上川の扇状地ですが、用水の不足に苦しんできた歴史がありました。五穀豊穣を願う 尊名を付けた豊郷の歴史は水利開発の苦闘史であり、明治期だけでも前後13回を数える干害に見舞われるなど、昼夜に亘る番水・はねつるべによる汲み上げ灌水の過重労働に 耐えなければなりませんでした。

明治42年の大旱魃を契機に「豊郷村耕地整理組合」が設立され、動力による揚水事業の開発が提案され、同年12月、水源試掘工事に着手し、地下湧水量の試験、 水源掘削作業等幾多の困難に遭遇し、ついに大正2年に地下水の動力汲み上げによる日本最初の揚水事業は竣工したのであります。当時の灌漑揚水機はイギリス製で、現在は 旧豊郷小学校に保存展示され、先人の苦労はとても筆舌に尽くせないものがあります。現在も大半の田用水は地下水を汲み上げており、こうした先人のおかげで良質な近江米の 産地となりました。

もう一つの日本一(東洋一)は豊郷小学校旧校舎群です。

我が郷土の近江商人は「三方よし」の精神の下に「三惚れ」があります。「女房に惚れ・仕事に惚れ・地域に惚れ」のことで、家庭・家族を愛し、仕事に情熱を燃やし、 地域に貢献・参画するものです。これらをモットーに一生懸命に近江麻布の行商に汗を流しました。行商は一般的には江戸の方に向かうのですが、伊藤忠兵衛たちは山口・ 長崎へ出かけ、外国貿易の盛んな状況に刺激を受け、ついにわが国貿易のパイオニアと言われるほどになったのです。その伊藤忠兵衛の甥で丸紅の専務であった古川鉄次郎が、 昭和12年に当時のお金で60万円の私財をなげうち建設されたのが豊郷小学校(現在の豊郷小学校旧校舎群)です。

古川鉄次郎は豊郷小学校を寄付するにあたって「教育施設を整備することにより郷土の教育の振興に貢献するとともに、郷土の人々の100年の平和を図る。私が希うことは、 この礎より多くの才能と志のある人たちが続々と世に出でて、国家の進歩発展に寄与することである」と想いを遺されています。

こうした崇高な思いはウイリアム・メレル・ヴォーリスの設計により「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」と驚嘆された鉄筋コンクリートの巨大な建物「豊郷小学校」を 生み出し、現在も地域のシンボルとして愛され続けられています。

このように先人たちは、未来の子や孫のために、血のにじむような苦労を重ねられ、地域の発展のために多くのことを残して下さいました。

今を生きる私たちは先人の「想い」を子や孫に繋ぎながら、町づくり日本一をめざして日々取り組みを進めていくことが、先人の想いに報いると感じ、感謝をしながら 行政運営にあたっている毎日であります。

余談ではありますが、豊郷小学校旧校舎群は、アニメ「けいおん」の聖地として大きな注目を浴びて以降、全国から多くの方々に来場いただき、また映画撮影などにも 活用されています。今回、ベストセラー「五体不満足」の著者乙武洋匡さんとTOKIOの国分太一さん主演の映画「だいじょうぶ3組」が3月23日より全国一斉公開されて います。小学校を舞台に爽やかな笑顔と涙の感動の映画です。ロケの8割近くが豊郷小学校旧校舎群で撮影されました。是非鑑賞して頂きたいと思います。

無題
豊郷小学校旧校舎群