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水源逍遥

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年4月15日

山梨県道志村長 大田 昌博

 

道志村は、山梨県の東南端に位置し、東西28㎞、南北最大4㎞という木の葉のような形をした地形の村で、通称「道志七里」と呼ばれています。総面積は79.58k㎡で、 95%を森林が占め、人口は1900人ほどの村です。村の中央を国道と道志川がほぼ並行して峡谷を縫い、国道は縦貫し相模原市と富士吉田市を結び、道志川は西端の山伏峠を 分水嶺とし相模川へと合流しています。村の特徴の一つに横浜市との100年を超える交流が挙げられます。明治30年に横浜市が水道水源として以来、横浜市の水源地として交流の 歴史を続けています。当時から横浜港に寄港する世界の船乗りからは「赤道を超えても腐らない水」として永く称賛をされました。

明治5年に英国の外交官アーネスト・サトウに「スイスの風景」と呼ばれた景観やこの村の風土に培われた歴史文化を将来につなげていくための持続可能な村づくりを 進めています。昨年は解剖学者の養老孟司先生を座長に有識者や村民参加の中「サステな水源会議」(持続可能を意味するサステナビリティより命名)を開催し7つの 提言をいただきました。現在は提言のもと森林再生、自然エネルギーの活用、日々の暮らしの充実等に関しての事業を進めているところです。特に森林再生については 山林のほとんどが民有林で伐期を迎えても手入れのされない人工林が多くその活用と保全は地域活力の面からも、防災の面からも喫緊の課題となっています。現在、横浜市の 公共施設への利用、住宅の壁や床材利用、「水源地ブランド」として椅子や机の製作、村の温泉施設の薪ボイラーの燃料として活用するとか、間伐材も少しずつ動き出してきました。

森林の木材としての価値やエネルギー利用の面以外にも、多面的機能のうち人との関わりの部分は大事なものであり更に時代が必要としていくものではないでしょうか。古来、 先人たちは森に癒され、森と対話し、森から学び、語りきれない多くのものを人は森から得てきたはずです。スコットランドの自然は夏目漱石のノイローゼを癒し、兼好法師、 西行は遁世者として優れた作品を残し、良寛の山里の質素この上ない暮らし方やソローの「森の生活」は多くの人に今なお影響を与えています。

あまり趣味のない私は人に趣味を尋ねられると「山歩き」に「謡」と答えます。山歩きとは特別な場所を歩くわけではなく自分の持ち山を時間のあるときに歩くことです。 手をかけた人工林の凛とした佇まいや雑木林の季節の移ろい、沢水の清々しさに触れるだけでこの上ない喜びを感じるものです。フィトンチッドの効用も充分に感じまさに 「木こりに業病なし」です。日本人は昔から目的なく歩く習慣がなく、散歩も語源は服薬後の効果を高めるためだとの説もあったように記憶します。イギリスのフットパスは 権利としての通行権がありルート上は公有私有にかかわりなく自由に歩けるようですが、日本の森や林は多様性が高く植生が豊かなため歩きにくい難点はありますがその分多くの 発見と新鮮さが常にあり飽きることがありません。

養老先生は都会から農山村への人の流れを作るため「参勤交代」を勧めていますが、子供たちにこそもっと森林の価値や自然からの学びの場を提供したいものです。毎年、 道志村には横浜市の小中学生を中心にたくさんの子供たちが訪れ、様々な体験プログラムを楽しんでいます。水源地は「自然環境」「人々の暮らし」「伝統文化」といった多様な 価値あるモノの絶妙なバランスで構成されています。水源地は失ってしまえば二度と回復できない多くの貴重な資産を有しています。道志村では都市と山村、上流と下流の つながりまでも含めた総合的な環境学習として「水源教育」を提唱しています。体験学習をさらに磨き上げ、都市の理論に偏らず農山村に新たな時代の価値を見つける 環境学習の場としていきたいと思います。時は移り子が父となり、父は祖父となり人は変わっても自然を愛する心を引き継ぐならば、農山村に明るい未来があるのではないでしょうか。