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印刷用ページを表示する 掲載日:2013年2月4日

宮城県色麻町長 伊藤 拓哉

 

小さい頃のご馳走は、何と言っても餅。それも木製の臼と杵でついた「搗き餅」です。

今のように豊富にお菓子があるわけでもない、まして終戦後の食料が乏しい時代では、餅が何よりのご馳走でした。

暮れの12月28日か30日には、正月用の切り餅をつくため家中がてんやわんや。台所からは、蒸かした餅米の香りが漂い、土間には、木片が餅に混じらないよう事前に水に浸した 臼と杵。父親が杵を振り下ろしていた姿が今でも瞼に浮かびます。

私の住む地域では、12月29日には餅をつかない風習があります。29日の9にかけて「苦を搗く」という意味から、その日は避けるようになったと思われます。

その暮れの餅つきは、やがて小学校の高学年となった私の担当となりました。

餅の餡も、小豆の漉し餡、粒餡。胡桃、胡麻などその家ごとの好みがありました。それに納豆や大根おろし、砂糖醤油を絡めたり、鶏でだしを取ったおつゆ餅(雑煮のこと)。 どれもこれもおいしいものです。

餅は正月に限らずお祝い事などその都度食します。宮城の夏は枝豆を餡にしたずんだ餅が何とも言えないおいしさです。

色麻町には昔から独特の餡がありました。荏胡麻(えごま)の餡です。この地域では荏胡麻のことを十念(じゅうねん)と言います。これを食べると10年長生きすると言われた 伝統的な健康作物です。お正月に十念餅として食するために、農家では自家消費するぐらいの量を、細々と露地栽培していました。

私が町長に就任して4年目の平成10年、町商工会との村おこし事業でこの希少品種荏胡麻に着目しました。荏胡麻の栽培の盛んな福島県会津地方に学びながら、今や日本一の 作付面積を誇るようになりました。

引き続く減反政策の中、荏胡麻を町の特例作物として農家に経済的支援を行いながら、今日までに至りました。

また昨今の健康食品ブームが、荏胡麻栽培を後押ししてくれました。荏胡麻の油は、α-リノレン酸を多く含んでいます。α-リノレン酸は、青魚などにも多く含まれ、 体内でDHAに変化し、脳細胞や網膜細胞に取り込まれます。

血液をサラサラにし、免疫力が向上し、コレステロールや中性脂肪を下げる働きがあると言われています。ゆえにこの地域では荏胡麻を、10年長生きできるから十念と 名付けていたことがお分かりかと思います。

荏胡麻を原材料として多くの特産品が生まれました。荏胡麻の油をはじめとしてドレッシングやぽん酢、焼酎、そば、アイスクリーム、クッキー、プリン等々です。

色麻町には、鶏卵販売のトップ企業「イセ食品」の世界一の養鶏農場があります。その一部に荏胡麻を給餌し、エゴマ卵として宮城県内限定で販売されています。

町にはエゴマ卵食べ放題の「卵かけご飯屋」があり、近県からもお客が参り賑わいを見せております。

餅の餡として、かろうじて存続していた荏胡麻は、地域おこしの資源に活用され、色麻町の活性化に大きく貢献するに至りました。

足下を見つめれば、町おこしの素材が見つかるというよい事例ではないかと思っています。

私の大好きな餅。今も町の秋の収穫祭では、各行政区が1カ所に集い、それぞれ得意の餡を用意しながら餅を搗き、祭り参加者に大盤振る舞いをするのが恒例行事となっています。

飽食の時代と言われて久しいですが、これからも餅は、老若男女に愛される日本の伝統的食べ物であることは疑いの余地もないでしょう。