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ひかり・みどり・ゆとり・協働のまち 愛川

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月21日

神奈川県愛川町長 山田 登美夫

 

愛川町は、神奈川県の県央北部に位置し総面積34.29k㎡の町で、東京から50㎞圏内、横浜市から30㎞圏の位置にあり、町の中央には丹沢山塊を源とする中津川が 貫流して川沿いに低地をつくり、中津川と町の東端を流れる神奈川の母なる川・相模川に挟まれた台地に広がっています。

江戸時代から地場産業として繊維産業が発達し、「糸のまち」として広くその名を知られ、昭和41年に、神奈川県内陸工業団地が完成し150社の企業が進出、 自然と調和した公害のない産業都市として着実な歩みを続け、現在の人口は42,571人、世帯数は17,636世帯となっています。町域内に鉄道はなく最寄駅は 小田急小田原線の本厚木駅や相模鉄道の海老名駅、JR横浜線や京王線の橋本駅となっていますが、現在は小田急多摩線唐木田駅からJR相模線上溝駅までの延伸に 向けた取組みが進められており、将来的には本町方面へのさらなる延伸も含めて鉄道の利便向上が期待されているところであります。また、東名高速道路と 中央自動車道を結ぶ重要な広域幹線となる首都圏中央連絡自動車道の工事が進められており、この「さがみ縦貫道路」は、本年3月には「海老名I・C」から 「相模原愛川I・C」までが開通し、広域交通の利便性が飛躍的に高まるものと期待されています。

昭和62年中津川上流に着工された宮ヶ瀬ダムが平成12年に完成し、みどり豊かな自然に囲まれた宮ヶ瀬湖周辺には「県立あいかわ公園」が開園されるとともに、 同公園内には本町の郷土資料館や県の工芸工房村が開設され、ダム湖畔周辺の水と緑の空間が多くの人々に親しまれ、水源地域として活性化し新たな観光拠点と なっています。加えて本年4月には県企業庁の「愛川ソーラーパーク」が稼働するなど、宮ヶ瀬ダム周辺エリア一帯を広く町の観光資源として町内外に 発信していきたいと考えております。

さて、本町は古くから川に生き、川を愛してきた人たちのまちであり、町の中央を流れる中津川は古来、鮎河(あゆこう)と呼ばれ、「愛川」の文字に改めたと 言われています。

こうしたことから、本町は川なしには、水なしにはその生々流転のすべてを語ることができぬほど、川と深い「えにし」を持っています。中津川の奔流は水車を 廻して動力となり、川の適度な湿度と相俟って撚糸業を繁栄させ、まさに川と共に発展してきた町です。

私が子供の頃は、中津川が毎日の遊び場でした。歓声をあげながらの水遊び、魚を捕ったり泳いだり、日が暮れるまで川にいたものです。魚の捕り方には色々な 方法がありました。桑の木で作った竿に簡単な仕掛けを付けての小魚釣り、ガラスを張った箱のメガネで水の中をのぞきながら魚をモリで突く“ボラ突き”や鮎の体に かぎ針を引っ掛ける“引っ掛き”もしました。ボラ突きや引っ掛きに飽きるとまた泳ぎ、皆で石を投げては代わる代わるその石を探しに潜る、唇が紫色になるまで泳ぎ、 疲れると砂場で寝転ぶ、この繰り返しでした。顔も体も真っ黒に焼ける。抜けるような青い空、むくむくと真っ白な雲が湧いて流れる。涼風の吹く時刻になると、 やっと帰る気になり手拭いを首に巻きつけながら家路を急いだものでした。こうした遊びの中で、子どもたちは自然に先輩と後輩の関係はもとより、知恵や知識を 身に付け、また健康な体を作るとともに、身をもって自然の豊かさを学びながら、一人前の大人へと成長したものでした。

これからも、「ひかり、みどり、ゆとり、協働のまち 愛川」を将来都市像に掲げた「第5次愛川町総合計画」をより確かなものにしていくため、 そして未来を担う子供たちのために「水とみどりの環境保全」や「快適な生活住環境の整備」等々において、住民と行政による新たな協働により、 様々な事業の取り組みをしていきたいと考えています。