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「なくさみ」文化について

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月14日更新

鹿児島県伊仙町長 大久保 明

 

今年、伊仙町は町制施行50周年を迎え、10月27日に、島外からの出身者600人を含め多くの町民が参加して盛大に記念式典を開催しました。また翌28日に、徳之島地域文化情報発信施設 「なくさみ館」の落成式と記念闘牛大会を開催、4500人以上の観客が闘牛の圧倒的魅力に熱狂しました。

「なくさみ」の語源は“慰める”が由来です。島ではサトウキビや米の収穫が終わった農閑期に各集落で農家の人々が集まり、闘牛や、踊りを楽しんだりして疲れを癒す習わしがありました。 ですから闘牛は「牛なくさみ」であり、島唄を楽しむことは「唄なくさみ」であり、魚を取りお祝いをするのが「ぎゅうなくさみ」です。しかし今では「なくさみ」イコール闘牛になっているようです。

徳之島が誇る宝に長寿世界一、子宝日本一がありますが、島民が最も自慢するのが闘牛です。

徳之島の闘牛は、スペインと違い、牛と牛が戦い、逃げたほうが負けです。数秒で決まることも、30分以上戦うこともあります。

牛は約400頭いて年20回前後大会が開催され、現在は全島一、中量級、軽量級、ミニ軽量級のクラスがあり各級年、3回タイトルマッチを行います。

このような闘牛文化は現在、世界では、中国南部、東南アジア、トルコ、ボスニア、ロシアなどで残っています。おそらく人類が牛を家畜としてから自然発生的に世界中にあったと思われます。

日本では現在、岩手県の南部地方、新潟県山古志地方、隠岐島、宇和島、徳之島、沖縄の6地区で行われています。12年前から毎年、全国闘牛サミットを持ち回りで開催し闘牛文化の保存と交流を行っています。

なかでも徳之島闘牛は、メジャーリーグであり、人と牛が織り成す関係がなんともいえない魅力を醸し出しています。

1トンクラスの牛が地響きを立てて頭でぶつかりあい、大きく太い角を掛け合い戦う姿は迫力満点で、場内は熱気と興奮の坩堝と化します。闘争本能で力尽きるまで戦う牛の姿は 感動的ですらあります。また観光客の多くが驚き、喜ぶのは、牛が入場する時と、勝利の瞬間に牛と共に、牛主と応援団、一族郎党、老若男女がワイド、ワイドと太鼓を敲き、狂喜乱舞する姿です。

このように島では全島一牛を持つことは何よりも名誉なことです。おそらく町長よりも名誉なことです。

島の子供は多くが闘牛の世話をし、観戦し喜ぶことがDNAの中に組み込まれています。子供たちは朝、餌をやり、夕方は掃除をして、大きな牛を引いて県道を散歩させています。 この微笑ましい光景を初めて見る人はみんな感激しています。そして大会が近づくと牛に対する愛情の強さのあまり牛小屋で寝泊りする牛主もいるほどです。

このように「なくさみ文化」は徳之島人の性格形成に大きな影響を与えています。都会に出て社会の壁にぶつかった時、牛の粘り強さを思い出し、逆境を乗り越えて成功する人も多くいます。 成功した人は闘牛のオーナーになることも少なくありません。

愛牛を丹精こめて育てることは動物愛護の心を育てます。そして出生率が日本一高いのは闘牛を育てるため島に帰り早く結婚することが要因の一つです。

一方、闘牛の持つ負の側面がいつも指摘されています。熱狂するあまり賭博に走るファンが後を絶たない事です。15年ほど前、教育委員会などで青少年の非行の温床になると社会問題に なったこともあります。確かに人間の営みには必ず表と裏があります。

しかし闘牛の良い面を強く主張することで、負の面を徐々に解消していくことができるはずです。「闘牛は島の誇るべき素晴らしい文化だ。」と事ある毎に主張し続けることで賭博は減少しています。

今回、国と県の補助事業で「なくさみ館」を建設できたことは闘牛文化、なくさみ文化が重要な観光資源になると高く評価されてきた証だと思います。

これから大事なことは「なくさみ」の持つオンリーワンの魅力を様々な報道を通じて日本中、全世界へ発信することです。映像を見た人が必ず本物の「なくさみ」を見てみようと思うはずです。 そして徳之島に来た観光客が、「なくさみ」だけでなく都会では失われた自然、素朴さ、人情、もてなしなどの魅力の虜になり観光交流が拡大する事が価値ある島、徳之島の創造に繋がっていきます。

そのような「夢」を見ながらこれからも信頼される町政を遂行していきたいと思っています。

随筆というよりは「なくさみ」の宣伝になった事をお許しください。