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原子力発電所がある風景

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年11月5日

新潟県刈羽村長 品田 宏夫

 

のどかな田園風景が広がる刈羽村は新潟県のほぼ中央に位置し日本海から潮の香ただよう海沿いにあります。長岡市に隣接する飛び地を除きまわりを柏崎市に囲まれた小さな村です。 社会インフラは整い、教育環境の充実に力を入れている村に4,800人が暮らしています。

平成の大合併で112市町村は20市10町村となり我が村は人口規模で2番目に小さい自治体となりました。地域経営の手段として合併を否定しませんが20の強力な集落自治力を持つ 刈羽村は違う選択をしました。

稲作中心の農業は近代化が進んでいます。平成に入ってから農家戸数は70%以上減少しましたが少数の力強い農家が営農をリードしています。

海と村を隔てて標高70mほどの砂丘があります。かつてそこは優良な農地で、栽培される作物が富を生んでいた時代もありました。豊富な水を地下に蓄え、農地としての ポテンシャルは高いものの現在はほとんど自然林の状態です。

砂丘と海の間にあるのが東京電力(株)柏崎刈羽原子力発電所です。今エネルギー政策、中でも原子力政策は揺らぎの真っ只中にあります。

昭和40年代半ばから発電所の立地をめぐり刈羽村は数々の混乱を経験してきました。

エネルギー調達は国家の大命題です。手段のひとつとして原子力利用を選択し、この国が今日まで発展を遂げてきた事実は誰も否定できません。国策と長くつき合ってきた 私たちにはエネルギー政策を論ずる能力があると自負しています。

福島の事故は原子力災害の怖さをまざまざと見せつけました。1年半を経た今も原子力政策の混乱は収拾していませんが恐怖心に支配されていたのでは冷静な議論は期待できません。 9月に発表された「革新的エネルギー・環境戦略」を見て本当にこの国は大丈夫かと思いました。

原子力発電所が次々に停止し発電戦力から離脱していくことが深刻な社会問題を引き起こしています。少なくとも短期スパンでは原子力発電が不要とならないことは明らかになったのではないでしょうか。

原子力事故の怖さは経験しましたが原子力のない怖さはこれから経験することになります。中・韓・露と領土問題でもめていますが問題発生の引き金のひとつにこの国のエネルギー 調達力の弱さがあることは明らかです。

刈羽村はこの10月に大型複合施設をオープンさせました。メルヘンチックなカフェ、スイーツガーデン。JFA公認のサッカーコートと宿泊交流センター。砂丘桃のほ場。 施設園芸の大規模ハウスと園芸トレーニングセンター。新潟大学の先端農業バイオ研究センター。一見趣旨の異なる施設群ですが刈羽村の発展に欠かせない要素を有機的に配置した新しい財産です。

この事業は原子力発電所と立地地域の共生を表そうという趣旨のもと、刈羽村地域共生事業と銘打ち東京電力(株)の寄付で実施したものです。

平成9年の発電所完成以来、長い年月をかけて練り上げ22年3月に寄付を受け建設をスタートさせたところです。

当初から公設民営で運営するという構想で運営各者は自立して施設の経営にあたります。近くのスーパーが廃業して買い物難民がでたなどということを耳にしますが、 民間企業が果たしていた役割には、それが商売であっても十分に公の価値が認められます。長い時間をかけて公共事業の概念を刈羽村では変えてきました。

昨年の福島原発事故以来、電力各社の地域貢献活動がいかにも悪事と捉えられヤリ玉に挙げられていますが冷静に考えるべきです。企業の社会貢献、地域貢献は不要。 企業メセナなど何の価値もないということになるのでしょうか。

一流国家にこだわるつもりはありません。しかし私たちが目標を掲げ、努力してきた結果の今日の幸せな社会を簡単に昔に戻せるとは思えません。

領土は誰かが守ってくれる。安いエネルギーを誰かが提供してくれる。食糧はいつもふんだんにある。そんな考え方を平和ボケと呼ばずして、どう呼んだらいいのでしょう。

覚悟を求められるときは必ずやってきます。