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「小さな島の大きな宝物」・・・豊かな自然・伝統文化を活かした村づくり・・・

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年8月27日

「小さな島の大きな宝物」・・・豊な自然・伝統文化を活かした村づくり・・・

沖縄県多良間村長 下地 昌明

多良間村は沖縄本島から南西に約380キロ、宮古島と石垣島のほぼ中間に位置し多良間島と水納島の2つの島で形成されています。人口は、 1270名で面積21.91平方キロメートルの歴史と文化の香り高い自然豊かな村です。

島は、全体的に平坦な地形で最も高い場所で34mで周囲は海岸線を暴風、防潮林で被われ集落は、福木と呼ばれる常緑広葉樹の抱護林に 囲まれて屋敷の周囲にも暴風垣として福木が植えられており、「福木の里」とも呼ばれております。産業としては農業を主産業とし、 中でもさとうきびは黒糖生産地として国内生産の約4割を占めており黒砂糖の国内最大の供給地であります。そして、島の産業を支える さとうきび畑や牧草地が集落内のフク木とともに豊かな緑を形成している。

また、島の周囲はコーラルサンドの白い砂浜、珊瑚礁の美しい海に囲まれ豊かな海の幸を育んでいる。

島には、数多くの文化遺産があり、中でも旧暦の八月に催される「多良間島の八月躍り」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、 毎年多くの観光客が島を訪れています。

このような、豊な自然、歴史的文化遺産が高く評価され平成22年9月には日本で最も美しい村連合への加盟となり、23年には島全体が 県立自然公園の指定を受けております。

数多くある文化遺産の中で「多良間島の八月躍り」はユネスコ世界無形文化遺産への記載が待たれるところであり、ここで「多良間島の八月躍り」 について紹介したいと思います。

旧暦の8月8日を迎えると、人口1,300名足らずの多良間島は1年で最も賑やかになります。

島外にでた人たちが帰省し、島にある民宿などの宿泊施設は報道関係者や観光客、などで埋め尽くされます。目的は「八月躍り」、 1976年に国の重要無形民族文化財の指定をうけた、400年近い伝統を誇る祭事です。八月踊りは、かつて「八月御願」とも呼ばれ豊穣、 豊年を祝う祭りです。その起源は、過酷な人頭税の「皆納祝い」であるとされています。薩摩が琉球を支配した1609年以降、1637年から 島民は毎年重税に苦しめられ、その年の7月末までに粟や上布等を上納することが求められ、苦労の末に租税を完納した人々は、その喜びと 感謝を御嶽の神に報告し、翌年の豊穣を祈るために、神前で芸の数々を奉納したと言われる。始めは、農作業をまねた庶民的な踊りだったようですが、 明治20年代から組踊りや古典踊りが加わり、今に引き継がれる演目(獅子舞、総引き、棒踊り、若衆踊り、女踊り、二才躍り、狂言、組踊り) となっている。組踊りは、かつて宮中内で中国皇帝の使者として来琉した冊封使の接待のため御冠船踊りとして演じられていたようである。

多良間島は、西側の「仲筋」と東側の「塩川」の2字に分けられます。祭りの日は、各御嶽・拝所で未明から五穀豊穣の感謝と、祈願が執り行われ、 午前10時より開演、獅子舞の後、総引きで出演者の紹介、勇壮な棒踊り、仲筋は「福禄寿」塩川は「長寿の大主」の演目で長寿を祝います。

また、祭りの間、仲筋の舞台には「偕楽」の額が、塩川の舞台には「歓楽之」の額が掲げられます。その言葉の通り、8月踊りはまさに、 村民が皆でつくりあげ、これを楽しむ祭りでもあります。

八月踊りは、多良間島の誇りでもあり、「小さな島の大きな宝物」先人が築いたこの文化遺産を大事にし、未来永劫継承していきたいものです。

来年、平成25年には村制施行100周年を迎えます。

国内外において、厳しい経済状況のなか、地域の産業経済の振興をはじめてとして、教育、福祉の充実化を図り、多良間村にとって天賦の 財産である豊かな自然と多くの史跡や文化遺産を大事にし、歴史・文化の香り漂う活力ある村づくりに取り組んで参ります。