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もう六十年、まだ六十年

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年4月9日

兵庫県太子町長 首藤 正弘

兵庫県南西部に位置する太子町。往古からの山陽道の通過など、交通の要衝として、多彩な文化を取り入れながら、個性豊かに外に開かれて発展したまちである。   

昨年四月に、町制施行六十周年を迎えた太子町は、昭和二十六年四月に斑鳩町、石海村、太田村が合併して歴史が始まり、昭和三十年一月に龍田村を編入した。以来、聖徳太子ゆかりのまちとして歴史と伝統を保持・継承し、平安時代に建立された斑鳩寺をはじめ、悠久の時を感じさせる史跡を残しながら、同時に、都市化の進展に応じた公共下水道事業の整備や、町民体育館、保健福祉会館などの公共施設、文化会館や図書館、歴史資料館を含めたふるさと文化村の建設など、多岐にわたる振興が進められてきた。   

現在は、播磨臨海部の開発とともに、姫路市や阪神地区を含めたベッドタウンとしても発展し、まちの様相も大きく変化している。人口は合併当初、一万三千余人であったが、現在では三万四千余人へ増加し、平成二十二年に実施された国勢調査において、兵庫県下十二町で最も人口が多いまちとなった。また、年少人口割合においても、兵庫県下四十一市町の中で最も高い割合のまちとなっており、将来を担う子どもたちが多い「若いまち」、そして「躍動するまち」となっている。これは、住民の皆さんが「住みやすいまち」であると感じていただいていることを示しており、改めて住民の皆さんに感謝申し上げたいと思う。   

数字だけが全てではないことは百も承知だが、少子高齢化の中でのこの結果は驚くべきものであり、平成二十二年より着実に推進している「第五次太子町総合計画」の賜物ではないかと考えている。   

● 第五次総合計画で目指す 「和のまち太子」      

第五次総合計画の基本目標である「和のまち太子」の「和」は、聖徳太子の教えである「和をもって貴しとなす」の教えからいただいたものであるが、ふと、「和」という言葉を辞書で調べてみると、   

① 争いごとがなく穏やかにまとまる。     

② やわらいださま。ゆったりとして角立たない。      

③ 性質の違うものがいっしょにとけ合う。   

④声や調子を一つに合わせる。      

…………などさまざまな意味があった。まちづくりに照らし合わせて考えてみると、①は当然のこと。②は角が立てば立つほど政策、施策は前へ進まないので、行政はゆったりと構えることが必要。③・④は、住んでいる住民が「いっしょにとけ合」い、「声や調子を一つに合わせる」ことが必要、ということである。   

また、年々悪化する経済状況や多様化する住民ニーズに対し、きめ細やかなサービスを提供するためには、住民と行政が手を携えることが必要であり、住民同士の「つながり」や「支え合い」がまちづくりを進めていく上で大切である。   

まとめると、まちづくりには「和」が必要なのである。      

● 子どもたちの将来を見据えた施策      

第五次総合計画策定の中で、町全世帯にアンケートを採った結果、「子どもたちの笑顔があふれるまちであってほしい」、「子どもからお年寄りまで仲の良いまちであってほしい」など、子どもに焦点を当てた意見が多数寄せられた。それらの意見を踏まえ、保育サービスや学童保育園の充実、体験的な学習の推進など、豊かな人間性を育むための事業を進め、子どもたちの笑顔があふれ、成長した時に太子町に住んでよかったと思える施策をすすめている。   

また、幼稚園や小・中学校の学校給食を通じた食育の推進にも力を入れている。いわゆる「地域グルメ」の時代の中、学校給食に町の特産品である太子みそや太子いちじくなどを取り入れ、子どもたちが、「太子町の特産品を知っていますか」と聞かれた時に、「太子みそ」「太子いちじく」と答えてもらえるようなまちにしていきたい。   

●子どもたちの目標      

喜ばしいことに、町出身者には著名人が多数おられる。最近では百六十三日間の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在に成功された野口聡一宇宙飛行士や、バンクーバー冬季パラリンピックにアイススレッジホッケー競技日本代表として出場され、銀メダルを獲得された円尾智彦選手、北京オリンピック陸上競技長距離走に出場された竹澤健介選手、今年のロンドンパラリンピックに、シッティングバレー女子日本代表として出場される西家道代選手などが活躍されている。   

特に、太子町名誉町民の野口宇宙飛行士は、宇宙長期滞在中の斑鳩小学校児童と無線交信の中で、「無事任務を終え、地球に帰ったら太子町にお伺いします。」と力強く約束していただき、一昨年の九月、ふるさと太子町に帰ってこられた。その時に開催した「野口宇宙飛行士帰国報告会」での穏やかで温かい笑顔は、今でも印象に残っている。   

これは余談になるが、先日『聖徳太子ゆかりのまち友好都市提携』を結んでいる奈良県斑鳩町の小城町長とお会いした際、野口宇宙飛行士の帰国報告会で記念品としてお渡ししたバッジを今でもつけていただいていることに感激した。小城町長も「このバッジは他の市町村へ行っても自慢になる」と話され、小さなことからも町の魅力を発信することができると再認識した。   

現在の子どもたちにも、このような素晴らしい功績を残され、誰もに愛されるような人に成長していただきたいと切に願う。そのためには、夢をもち、目標に向かってあきらめずに努力することが大切である。   

●終わりに      

太子町第五次総合計画がスタートして二年が経過した。昨年は兵庫県町村会の副会長にも就任し、忙しい日々が続くことはもちろん、二十四年度からは、新庁舎建設に向けてまい進する一年となるだろう。短いようで長い六十周年を迎えた太子町。副町長をはじめとする全職員で知恵と力を出し合うのはもちろんのこと、住民の皆さんにご協力いただきながら、「和のまち太子」のまちづくりに向けて、地域課題に全力で取組んでいく決意である。