ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 明るく希望に満ちた山村農業の確立を

明るく希望に満ちた山村農業の確立を

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年4月2日

青森県新郷村長 須藤 良美

昨年は東日本大震災をはじめ、全国各地至る地域で大きな災害が発生した年でした。被災に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

今年は辰年、仕事も景気も上昇して明るく笑顔の絶えない平和で良い年でありますように願っています。   

新郷村は青森県の南端に位置し、総面積150・85平方キロ、林野率約80%、人口約3千人、大小43集落からなるロマンあふれるキリストの里と知られる山村であります。農林業を産業とし、にんにく、長芋、大根栽培を中心とした野菜の生産、米、畜産、葉たばこを基幹作物とした農業を進めております。以前は恵まれた山林資源を活用し木炭の生産、どこの農家でも1.2頭の乳牛を飼っており、青森県酪農発祥の地として知られています。しかし、農業も、少子高齢化、過疎化が進むにつれて集団活動や共同作業、営農集団組織が次第に崩れ、農業生産に励む意欲も日増しに失われてきております。

先祖代々引き継がれてきた田畑は、今後、誰が継いで誰が耕していくことやら、行政をあずかる者としても判断に苦しみながら政策推進にあたっております。しかし、我村は農林業あっての村です。明日につながる農業を進めるためにも、職員の知恵と工夫を結集し農業農村を守っていかなければなりません。この為に山村資源を活用し、高齢者の生きがい政策としての原木シイタケ栽培や堆肥を利用した有機の里づくり、健康で長寿の村づくりを目指しております。   

現在、とうもろこしの試験栽培や南部自然薯の栽培、製薬会社との提携による薬草「甘草」の栽培試験、優良肉牛の県外からの導入を進めており、その成果が着々とあらわれて来ていることに喜びを感じております。   

私が生まれ育ったところは青森県津軽平野のど真ん中、旧尾上町現在の平川市です。りんごと米作りを産業としたのどかな街です。山村新郷村で農業指導に意欲を燃やし早50年、今日ほど農業の厳しさを感じたことはありません。農業、農家、農村から人影が消え、子どもたちの元気な姿が次第に消え、村の元気さ、農村の元気さが失われていく様子に、ただ、ただ、寂しさを感じております。しかし、厳しい農業環境の中で、勉強を重ねてきた農業指導員としての力を発揮する時は、今より他ないだろうと考えております。

今年はTPPの事前協議の年になると思います。今でさえ農業者が苦しみ耐えながら一日一日頑張っているのに農業に対する国の施策に明るさが見えず、不安と失望を感ずる毎日です。国は農地を集約し大規模経営で世界の競争力に打ち勝てる農業を目指していこうと言いますが、我々の狭い土地で、高齢化が一段と進んでいるところに、どうして規模拡大が出来るのでしょうか。夢の話です。小規模農業を救ってこそ日本の農業の発展があると思っております。大規模経営は一部には所得向上が図れるかもしれませんが、地域全体が活性化に結びついていくものか不安でいっぱいです。日本の農業は戦後米を作り、都会の焼け野原に農村の若い労働力を投入し、素晴らしい日本を築いて来たことを忘れてはなりません。農業の基幹作物である米作りは経営として成り立たなくなり、資材は高騰し、働く人は高齢化、生産物は価格が安定せず、働けど働けど借金に追われる状況の中で、どうして元気な農業、農家、担い手が育ってくるものでしょうか。このままでは益々農村は過疎化が進むばかりです。農業で十分生活できる希望の持てる農業の推進は、現場の我々の責務であり使命であることは勿論ではありますが、農業、農家に対する国の温かい施策を心より望むものです。そして、高齢化農業に対処した営農指導の強化に努め、豊かで楽しく働く農業、働いた汗が喜びとなり報われる実り多い農業が訪れることを期待しております。