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「災害に学んだこと」

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月26日更新

三重県紀宝町長 西田 健

紀宝町は、紀伊半島の南東部に位置し、三重県の南玄関となっています。   

海岸部では、熊野灘の雄大な眺めが広がり、温暖な気候と豊漁をもたらす黒潮の恵みがあり、海岸線に沿って松林が続く美しい井田海岸は、希少種となりつつあるアカウミガメの産卵場所として全国に知られています。   

このウミガメを保護し未来へと承継してゆくために、昭和六十三年、全国初となる町独自の「ウミガメ保護条例」を制定しました。ウミガメは、五月下旬から八月上旬にかけて産卵に訪れ、生命の神秘と自然の営みの豊かさを私たちに伝えています。   

また、当地域は、「吉野熊野国立公園」に指定されており、さらに平成十六年七月には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。中世以降、熊野権現信仰の広がりとともに盛んになった、熊野詣での当時の様子を伝える史跡や自然の風景が残っており、町内では、「七里御浜」、「熊野川」、「御船島」の三か所が登録されています。   

豊かな自然に恵まれた穏やかな平凡な町が、昨年九月二日襲来した台風十二号によって、約千世帯が床上浸水以上の被害を受けました。多雨地域であり雨に対する備えには十分慣れているつもりでしたが、予想だにしていない豪雨と大洪水により、町民の平穏な日常生活が一変する甚大な被害となりました。   

このような状況の中で、人的被害が最小であったことに救われました。これも災害を想定し、町民の皆様とともに取り組んできたことが減災につながったのではないかと思います。   

ご家族、隣近所、地域などの絆、全国からのボランティア活動や、義援金、見舞金支援による絆により、多くの町民が救助され、安定した避難生活を送ることができたと思っております。改めてこれらの「絆」に心から感謝申し上げます。   

平成の合併により、小規模町村は、財政の健全化や職員の削減等に強力に取り組んできました。しかし、大規模災害発災時には、人的な負担があまりにも大きく、基礎的自治体の弱体化を強く感じ、自前で町民の生命、財産をさえ守ることができない事態に、忸怩たる思いにさいなまれました。国、県、市町村あるいは、関係各位のご支援を賜り感謝の念に堪えません。   

特に、国土交通省地方整備局については、すでに大震災において認識済みではありますが、地域の状況など、発災前から地理的にも熟知し、迅速かつ高い機動力を有して、懸命の救援活動やインフラ復旧にあたっていただき、安堵と勇気を与えていただいたことに感謝申し上げるとともに、国土の強靭化、危機管理体制の強化、組織力の向上が今強く求められていることを痛感いたしました。   

唯一の幹線国道が何日もの間通行止めになり、孤立する地域、高規格道路のミッシングリンクが存在する当地域において、道路網の整備、セーフティーネットの確立が急務であり、国民の安全、安心を守る、命の道としての整備が、全国からも強く求められています。   

母なる河「熊野川」の恵みを受け悠久の歴史において、河川を治めることは地域を治めること、コンクリートが地域を、人の命を守る。今この最も基本的なことが忘れられているのではないか、疎かになっているのではないかと感じるのは私だけでしょうか。   

麦は、踏まれることにより新たな生命力を養い、やがて芽を出し結実する不屈の逞しさがあります。未曾有の紀伊半島大水害による激甚な被害に、危険を顧みず、救助に避難誘導にと、使命感に燃え一生懸命対応する職員の姿に、郷土愛の強さを感じました。   

この困難を乗り越え、克服するその気概は、人生においても大きな経験になったと思いますし、一回りも二回りも大きく成長し、スキルアップして大きな財産になって行くことと思います。   

復興までの道のりは、決して平坦ではありませんが、地域力を結集し絆を深め、一日も早い復興と元気な町を取り戻してまいります。   

今、東日本を始め各地域で、災害に遭われご健闘いただいている多くの皆様、共に頑張りましょう。