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人と地域が支えあうまち 金ケ崎

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月19日

岩手県金ヶ崎町長 高橋 由一

もう1年が過ぎました。辛苦の日々、絶対に忘れられない昨年の3月11日の大震災・大津波の被災者・関係者に対し、改めてお見舞いと哀悼の誠を奉げます。そして被災地に対し、全国の皆様・自治体からボランティア活動をはじめ、物心両面にわたり「温かい愛の手・大きなご支援」を沢山賜って、復旧・復興が進められております事に心から感謝とお礼を申し上げます。

さて、我が町は岩手県南に位置し、昨年、世界文化遺産登録となった「平泉」文化遺産の近くであります。町は江戸時代の伊達藩で南部藩と接し、その藩境を示す塚跡が当時の状況で残っております。また、方言や習慣の違いも多少あり、藩政時代のなごりを感ずる地域でもあります。町の地形は木の葉を横にした形の179平方km、人口は1万6,300人と横ばい状況のなか、国勢調査では男女比が半々、そして「農・工・商」のバランスの取れている町と思っております。

町の紹介をしますが、主要産品のお米の品種は「ひとめぼれ」で、日本穀物検定協会から食味ランキング特A(冷害年を除いて17回連続)を頂いている米産地であり、また酒米「亀の尾」を栽培しており「宗任」や「金が咲き宿」の銘柄で販売されております。そして東日本最大級の山萱の産地と、人気のハイブリッドカー「アクア」が生産されている町でもあります。さらに社会人野球チームがいよいよ誕生、その準備が進められております。

合併しない小さな町ですが、味のある町づくりをと思っております。

3つの町宣言は町民の活動とこころ

町は3つの町宣言をしております。

一つ目は昭和54年に「生涯教育の町宣言」をし、中央生涯教育センターを拠点に、町内6地区に生涯教育センターを設置して、教育・文化・スポーツ等地域に密着した総合的活動を展開しております。特にも学んだものを生かす・自分の持っている知識・技能等を生かした活動や町の総合計画と連動した「地域づくり計画」を策定して、町民主役の地域協働の推進を行っております。また、地区ごとの地域活性化委員会による世代を超えた、地域を元気にする活動の展開等を行い、「まちづくりは人づくり」を基本に取り組んでおります。特にも「自立の町」の永続的発展の源は「町民一人ひとり」の自立の心と自主的活動であると信じております。

二つ目は平成8年に「平和国際交流の町宣言」をし、3ヶ国3市町と交流を行っております(紙面上割愛します)。

三つ目は平成11年に「田園環境保全の町宣言」をしました。田園風景の良さを残しながら「水と緑のまち金ケ崎」の自然と環境保全に力を入れ、同年にISO14001を役場が取得して民間への拡大が始まりました。また、町内5小学校では、省エネ・節水・リサイクル等環境に優しい学校づくりに取り組んでおり、その成果に対し町では独自に毎年、学校環境ISO認定証を出して活動をたたえております。水は上水のみでなく純度の高い工業用水として、更においしい水道水によるボトルドウォーター(名称・金が咲しずくちゃん)も作製しております。ゴミの分別は11区分23収集品目を実施しており、循環型社会を目指してのPFIによる「オーガニック金ケ崎」で、家庭の生ごみと畜産農家の堆肥を使って堆肥生産をし、「満作」の商品名で水稲・園芸、特にも特産・アスパラ栽培に活用頂いております。

毎年、住民・企業・団体等がその活動成果を発表する金ケ崎町環境推進大会を開催して、その活動の質的向上や充実に努めながら、家庭・地域・企業等オール態勢で推進しております。

11世紀の鳥海柵(とのみのさく)

さて、平泉文化は初代藤原清衡公に始まりますが、その母が前九年合戦(1051~1062年)で鎮守府将軍・源頼義と戦った総大将安倍頼良(よりよし)の娘ですので、清衡は安倍氏の子であります。この安倍一族の柵(城の役目)は、平安時代の文献「陸奥話記」によると奥六郡(一関市から盛岡まで)に12柵あり、場所が特定されているのは、町内にある「鳥海柵」のみです。歴史の空白期と言われる11世紀を明らかにできる遺跡として専門家から注目され、去る1月に「安倍氏のうつわ検討会」が開催され、東北の遺跡の年代基準として、鳥海柵遺跡の土器の時代考証がいよいよ本格的に始まりました。歴史の未知を抱える町です。

この柵は頼良の子に、貞任・宗任がいて、その宗任の柵であり、安倍一族の重要な柵で、幼いころの清衡もここ鳥海柵で遊んでいたと思われます。その宗任の娘が藤原2代目基衛(世界遺産・毛越寺建立)の正室(3代目秀衡の母)です。自ら観自在王院の建立を行っており、清衡・基衡・秀衡の平泉文化は安倍一族・鳥海柵と一本の糸で深くつながっているところです。 

そして時は江戸時代。伊達氏の重臣大町備前定頼が整備した武家町が「重要伝統的建造物群保存地区」の国選定を受け、歴史散策にうってつけの場所が、役場から歩いて10分のところにあり、住民生活に融合した歴史遺産です。

先人が築いた歴史と文化・産業、守ってくれた自然と風土を大事にして、「人と地域が支えあうまち 金ケ崎」を構築したいと思っております。