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清流の源

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月12日

島根県吉賀町長 中谷 勝

わが町の古文書、『吉賀記』に槇山興運寺由来の記として、「往古大同の初(1466年)弘法大師、大唐より帰朝、この山に登り、三つ葉真槇の種を振り蒔かせ給ひ…」と記されてあり、この一帯が島根県環境保全地域「六日市コウヤマキ自生林」となっております。

この吉賀町産の高野槇三本が、5月22日に開業する東京スカイツリーの下に植樹され、一役買うことになりましたのも、本町のご出身で東京スカイツリーのデザインを監修された澄川喜一氏(名誉町民、元東京芸術大学学長、名誉教授)が天を衝いて伸びる高野槇をイメージされた、というご縁からであります。

吉賀町は島根県の南西部に位置し、町の中央を一級河川高津川が貫流し、県下第2位の流路81.3㎞、流域面積1,085平方kmの県下有数の大河川として日本海に流れ込む、上流域の山紫水明の形容にふさわしい美しい町です。

この高津川は、国土交通省の調査で平成18・19年連続して水質日本一に選ばれ、そして、平成22年度の調査において再び水質日本一に返り咲いたところであります。

大蛇ヶ池と呼ばれる湧水池を水源とすることで、一級河川の水源が特定できるのも非常に珍しいと言われておりますが、池を見守るように一本の古代杉があり、この杉を一本杉と称し、一本杉の湧水として「平成の名水百選」にも認定されております。

この一本の古代杉は、寛治年中(1087年)に、井谷郷三郎、高津の銀阿弥の両人が、高津川の水源を探(たん)ねて、この地に入り、村里を定め、大木を伐り、沼を埋め、山峡を穿ち、水を抜き、八ヶ村を開起した(『吉賀記』)とあり、開墾の際の伐り残しと言われております。

こうして一級河川の水源が特定でき、周辺が沼地であったのは、この高津川が切頭川と呼ばれる、上流部が無い川のためであります。

高津川はその上流部を錦帯橋で有名な山口県岩国市の錦川の上流部と共にしており、錦川上流の谷頭浸食により上流部を奪われた(河川争奪という)ことによるもので、地質学上も貴重な、興味深いものと言われております。

このように、様々な意味合いを持つ高津川は、私たち流域に暮らす者に深い関わりと恵みをもたらしてきました。

この高津川流域の一市二町と民間団体が連携した組織、高津川流域連絡会議を中心とした、「森里海連環 高津川ふるさと構想」が地域活性化総合特区第一次選定となりました。

この構想は、高津川を中心とした地域資源を最大限に活用し、「森」~ふるさとの森再生~森林の適正な管理と生産システムの構築、「里」~自然と共生する里づくり~地域資源を活用した二地域居住の推進、「海(川)」~水質日本一・高津川との共存~高津川の水質浄化及び水産資源の増殖、を国と地方で共有する包括的・戦略的な政策課題といたしております。

これから、この特区の取り組みが始まるわけでありますが、上流域といたしましては、本町の90%を占める山林の有効活用と、経済効果が発揮できる、山の素材が生かせる環境づくりと、未整備地区の下水道整備及び合併浄化槽の普及による河川浄化作用の環境づくりを、上流域の責任として果たしていきながら、上流域の持ち合わせる特徴が十分に発揮できるよう、頑張る所存であります。