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回想〈子供の頃〉

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月20日更新

長崎県佐々町 古庄 剛

佐々町は、長崎県北部に位置し、面積32.3平方キロ、人口13,800人です。

町の東西に古川岳などの山々が連なり、その間を南北に県北最長流の佐々川が流れる豊かな自然に恵まれた町です。

私は生まれも育ちもこの町です。戦後の昭和22年生まれで、いわゆる団塊の世代であり、三男坊でもあったため、自然の中で比較的のんびり育ちました。

小、中学生の頃、学業を終えてから真っすぐ家へ帰った記憶がありません。いつも近所の仲間と連れ立って、夕食時まで遊んでいました。

佐々町は、この時代、炭鉱の町として栄え、町の各地区に炭鉱の長屋があって大変賑わっていた思い出があります。

この時代の子供たちは、食べ物にどん欲で、学校から帰ったら、いつもの仲間と徒党を組んで、近くの山や川に、柿、栗、どんぐり、川魚、ウナギ採りなどによく行ったものです。

また、ヒヨドリやスズメを罠に掛けたり、近くの炭鉱長屋の屋根に登って、瓦屋根を剥いでスズメの卵を採り、住んでいる人に追いかけられて、屋根を伝って逃げたこともあります。

遊びと言えば、当時流行っていたのがメンコとビー玉遊び、けんか独楽です。メンコはこの地方では「ペチャ」と呼び、名刺より少し大きいサイズの厚紙に、表には今でいう人気キャラクターの絵が描いてあって、何十枚か積み重ねたペチャを裏返しにすれば勝ちという単純な遊びでした。

けんか独楽は、「佐世保独楽」と言って、佐世保市の名物になっていますが、回っている独楽に上からぶっつけ合う遊びで、大変面白いものでした。そのようなことで、朝から夕方暗くなるまで遊んでばかりいました。

学校の給食も小学2年生の時に始まったのではと思います。その頃は、パンとミルクだけで、ミルクと聞こえは良いものの、脱脂粉乳であまりうまいものではありませんでしたが、いつも腹が減っていたので完食していました。

また、家も裕福でなく、テレビもありませんでしたので、休みの日は、近くの炭鉱の寮によく見に行ったものです。その頃記憶に残っている番組は、月光仮面と隠密剣士で、よく真似をして遊びました。

紙芝居も炭坑住宅街に来ており、水飴を買って見ていました。

でも子供の頃の楽しみは何と言っても正月です。

まずは餅つき。私の家は、12月28日に餅をつくのが恒例行事で、その時は近所の人も餅をついていて、朝の5時頃から1日中餅つきをしていました。母はそれを売ったお金で、私たちの正月用の身支度を整えてくれました。

私は三男坊なのでいつも兄のお下がりでしたが、靴だけは新品を買ってもらえたのを覚えています。今思えば、子供の足はすぐに大きくなったからではないかと思います。

正月は特に御馳走はありませんが、母が佐賀県出身でありまして、こちらの方で「筑前煮」と言う料理を毎年作って食べさせてくれました。大変おいしかった記憶があります。現在でも我が家では、正月の料理として欠かしたことはございません。

両親は戦中戦後の混乱の最中、私たち五人兄妹を育ててくれました。貧しいながらも楽しい我が家で、いま振り返れば、昭和30年代は良き時代であったと思っています。

しかし、年をとるのは早いもので、私も高齢者の仲間入りでございます。

兵庫県のある市の、「回想法で認知症予防」という記事が載っていました。高齢者に思い出を語っていただく回想法の活用法を始めたとありました。アメリカで開発された心理療法で、うつ病対策、孤立化防止に役立てたいと書いてありました。

佐々町も認知症予防対策として、大学病院から町立診療所に専門の医師を派遣していただいて、物忘れ外来の診察を行っております。皆様も認知症にならないためにも、自分の子供の頃のことを回想されてはいかがでしょうか。