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次代へ繋ぐ「自然」と「食」と「文化」

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年11月7日

愛媛県鬼北町長 甲岡 秀文

四国の西南に位置する鬼北町は、平成17年1月1日に旧広見町と旧日吉村が合併して誕生した人口11,635人(平成22年国勢調査)の町です。典型的な中山間地域であり過疎化、少子高齢化、若者の流出、田畑山林の荒廃等に歯止めをかけるべく、行政と町民が一体となって町づくり、地域おこしに取り組んでいます。
行政をあずかっている私の思い、信条をまとめると「我が故郷を子や孫に自信と誇りをもって引き継ぐこと」に尽きます。そのためにやらなければならないことは山ほどありますが、多くのキーワードの中から3点ご紹介いたします。
 
 
「自然」=原風景を未来に
古くから地元民に親しまれてきた清麗な渓谷と自然林に囲まれた成川渓谷は、昭和47年に足摺宇和海国立公園の指定を受けたことによって一躍脚光を浴びることになりました。
鬼ケ城連峰(この北側に位置することから「鬼北町」と命名)の毛山、八面山、高月山など1,000mを超える山々からの展望は優れ、また、シイ・タブ・カシ類などの温暖地帯の広葉樹林が繁茂する鬼ケ城連峰の登山口に位置する成川渓谷は、自然林の中に、桜・カエデ・モミジ・ツガ等が混生し四季の変化に富んでいます。
渓谷の清流と木々の彩りに囲まれた癒しの宿「成川渓谷休養センター(直営)」と、それに隣接する「高月温泉」では、大浴場のガラス越しに、移りゆく四季折々の渓谷美を眺めることができます。
泉質はラジウムと硫黄の混合泉で万病に効果があり、グリーンツーリズムと「安、近、短」型レジャーの流れに乗って「温泉とふるさと料理」「温泉のあるキャンプ場」として、多くの都市住民に人気を博しています。
「食」=先人の食文化に付加価値を
鬼北町の特産品としては、愛媛県の「愛あるブランド」に認定されている「鬼北熟成きじ((財)日本食品分析センターの分析結果で18種類のアミノ酸含有)があります。「鬼北熟成きじ」が美味しい秘密は、「熟成」「急速凍結」(特許取得)「長期保存」の技術を確立したことにあります。きじ肉は、処理後すぐ食べるより2日ほど熟成させてから食べた方が美味しいことは昔から知られていました。化学的に実験したところ、旨味の主成分「イノシン酸」等が48時間経過後に最大になることが分かり、その時が熟成のピークということで、この機を逃さずに急速凍結処理(-30度以下)をするのがベストということになりました。きじ肉が1年の内一番身が締まって美味しくなるのは、12月~3月上旬頃の僅か4ヶ月間です。美味しいきじ肉を年間通して安定供給するためには、冷凍技術の開発は不可欠でしたが、これを克服したことにより今では全国各地に出荷しています。成川渓谷休養センターでは、「鬼北熟成きじ」の刺身から鍋までのフルコースが「きじ酒」(きじのエキスをブレンドした酒)とともに食すことができます。健康食品としても最適ですし品揃えも豊富です。「鬼北きじ」でアクセスしてみてください。
 
「文化」=ものを大切にする日本文化の継承
鬼北町庁舎(旧広見町庁舎)は、1958年に建設されたもので、築後53年になります。清流四万十川の支流である奈良川のほとりに建つ3階建ての鉄筋コンクリートの庁舎は、洗練されたデザインとHPシェル工法による不思議な形の屋根、そして3階議場には四方に丸いステンドガラスが施されるなど、先駆的な技術が取り入れられた近代建築の先駆けとして広く県内外に認知されています。
私は公約で「新庁舎は建設せず、事業費を圧縮して使えるものは使うという観点から、現庁舎に耐震化と改修を施した上で活用する。」と掲げ、基本方針を具現化するため、昨年度庁舎の歴史的・文化的検証と耐震診断及び改修の方法等について、学術的な調査研究を(社)日本建築学会四国支部に委託しました。その結果、歴史・意匠・建築構造・地盤等の詳細な分析データと報告書が提示され、①適切な耐震補強をすることにより現行基準をクリアできる。②現庁舎の外観デザインを壊さない範囲で増改築も可能。③文化財として適切に再生・活用し、町の資産として新たな付加価値を見い出す。(国登録有形文化財指定に向け申請中)との報告を受け、本年度「鬼北町庁舎整備実施計画」を策定中であります。
私の公約である新庁舎は建設しないという決意には、平成の合併で閉鎖や機能不全となっている公共施設の利活用を優先することと、将来を担ってくれる今の子供たちに、できるだけ借金を残したくないという強い思いがあるからです。
また、良好な自然景観を生かし、歴史ある文化の里 鬼北町に調和した再生新庁舎が、今後更に40 年、50年と子々孫々継承され、一世紀の歩みを記すことになれば、まさに鬼北町の宝として歴史に刻まれる貴重な建築物になると確信しているからであります。