鹿児島県大崎町長 東 靖弘
あるテレビ番組で、有名歌手が次のようなコメントを述べていた。「人は、人と出会うために生きているんだ、出会いにこそ人生の意味がある。」
生きている間に、いかに有意義な出会いをし、そこから何を学び取るのか、それが後の人生に大きな影響を与えるのではないかと思う。私が大崎町長としての職務を預かって以来、振り返れば10年という歳月が経とうとしている。その間、実に様ざまな出会いがあり、今の自分が存在するのだと思う。出会いは偶然で、突然に訪れる。たとえ、初対面から別れまでの時間が僅かでも、共有した時が激しく燃焼するような出会いもあれば、じっくりと時間をかけ静かに熟成されていくような出会いもある。こうした有意義な出会いは、自分の年齢がいくつであっても大切にしたい。
私たち大崎町は、東日本復興支援のため、鹿児島県大隅半島の4市5町からなる支援チームを結成している。その活動の一環として、岩手県大船渡市へ複数の職員を派遣してきた。派遣された職員は、主に20代から30代の若い職員であったが、彼らが職務に復帰後、次々と口にしていたことにはいくつかの共通点があった。「現地へ行ってよかった・別れが辛かった・仲間との絆ができた」。きっかけは震災であるが、将来ある若い職員が何かを学び、人生に影響を与えるような出会いであったことを心から願う。
私の職場に限らず、全国の若者が復興支援のために行動していることを見聞きするたび非常に嬉しく思う。今の日常は、情報技術が驚くほど発達し、便利さにあふれている。周囲の人と関わりを持たなくても、ある程度のことは自分自身で調べ、行動することが可能な社会となった。その代償として、思いやりの欠如や、コミュニケーションの希薄さがたびたび指摘されている。しかし、そう言われる時代でも、危機的な状況に遭遇すれば、日本という国が根底ではどこかで繋がり、人と人とが支えあっている社会であることをあらためて実感する。
海外のメディアが、被災地の人々を大きく賞賛していた。なぜ、日本人は過酷な状況にありながらもパニックに陥らず冷静に、かつ周囲と協調しながら行動できるのか。その答えが、日本の教育システムにあることを聞いた。つまり、小学校のクラスに掃除当番や給食当番という制度があり、組織の中で秩序を守り、互いの役割をしっかりと果たす、そのことを幼少の頃から教育されてきた成果なのだという。もし、これが本質を突いているなら、長い時間をかけて受け継がれてきた日本の教育力の大きな成果であろう。
論語に次のような一説がある。『六十而耳従、七十而従心所欲不踰矩(六十にして耳従う、七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず)』。この意味するところは、60歳にして相手の言うことから善悪などを素直に判断できるようになる、70歳にして思うままに動いても間違いを起こさなくなる、ということのようだ。
この言葉を借りれば、私は今、耳順(じじゅん)と従心(じゅうしん)の狭間にいる。ある政策判断について、一つの決断を迫られる時、賛成する人もいれば反対の人もいる。理由は、地域や職業、社会的な立場など様ざまであるが、私は未だに、この両者を絶対的に満足させる方法を見つけることはできていない。現実の社会には100%正解という答えはないからである。しかし、そのことに気付きながら、それでも答えを探し続けるしかない。答えの出ないことと向き合うのが人生、有意義な出会いの中から、相手の意見を聴き、主張すべきは主張し、いつまでも学ぶことに貪欲でありたいと思う。そして次の出会いと、来るべき従心(じゅうしん)を迎えたい。