長崎県東彼杵町長 紙谷修
♪ 夏も近づく八十八夜トントン ♪
茶摘み唄の一節である。
八十八夜とは、田畑に種子を播く適期であり、「お茶」では茶摘みの最盛期となる。
5月2日に八十八夜を迎え、今年もいよいよ新茶「そのぎ茶」の美味しい季節が到来した。
東彼杵町は、長崎県の茶園面積の60%にあたる400ヘクタールの茶園を有して、600トンの生産量を誇り、「そのぎ茶」のブランドで愛飲されている。
本年3月末、全国的に寒波が到来し、未だかつて経験したことのない光景を目にした。
きれいに整っていた茶園で、わずかばかり芽吹いていた新芽が一夜にして凍結してしまったのだ。
新芽が凍る凍害に見舞われた。
霜害という霜対策については、茶園一面に大型の扇風機(防霜ファン)を設置して、その予防に当たっているが、凍害までは想定していない。
収穫が激減するのではないかと大変心配し、この光景を見た茶農家の落胆は大きかった。
しかし、永年作物である茶樹の力強い生命力により、八十八夜までの1ヶ月間で茶樹は見事に復活した。
昨年の秋から丹精込めた手入れ・肥培管理により、再び新芽を成長させ、「ふくよかな味と香り」のそのぎ茶が生産できた。
この姿に感動を覚えたところであり、茶単価・生産量とも例年並みとなり、農家にも笑顔が戻った。
このような一連の自然現象を間近に見たとき、なんだか自然に教えられることが多々あるように思えた。
我が町は人口が9,200人という小規模な町だが、その昔、江戸時代には交通の要として栄えた歴史を持ち、陸上交通の手段として、長崎街道・平戸街道を有し、長崎街道は長崎からそのぎの宿・嬉野への峠を越えて、小倉に至る路線で、鎖国時代、幕府が唯一、外国との交易を行う港である長崎と江戸を結ぶ重要な街道であった。
いま、長崎はNHK大河ドラマ「龍馬伝」で賑わっている。
ドラマのなかで、ミステリアスな女商人として登場するのが余貴美子さん扮する大浦慶である。
以前放映されたシーンで、お慶はカスティラの製造資金として5両のお金を借用書もなしに龍馬に差し出したが、夢と男気ある龍馬たちを陰から物心両面で支え、見守った型破りな行動に感動したものである。
お慶は「そのぎ茶」等を大量に買い付けてアメリカ・ヨーロッパに輸出した史実があり、江戸時代誰も考え付かなかった日本茶の輸出を成功させた長崎の女傑である。
九州各地の釜炒り製玉緑茶が集められ、長崎から盛んに輸出された。
長崎におけるお茶の歴史は古く、平安時代末期の頃、禅僧・栄西が大陸から平戸の地に禅とお茶を持ち帰ったのがはじまりで、それらが後に本格的なお茶の栽培として、全国各地に広まったといわれている。
特に15世紀に釜炒りによる製茶法が西九州に伝えられると、我が町で盛んに栽培されるようになり、今日の特産品となった。
新しい時代へと駆け上っていった志士たちに夢を託したお慶という女性は、明治維新の陰の立役者のひとりであったと言える。
今日の我が国に、第2のお慶がいれば、と思いを馳せながら、大河ドラマ「龍馬伝」を楽しんでいる今日この頃である。