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 町長への挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年5月31日

鹿児島県長島町長 川添 健

1 誕生への徒然
私は、9人兄姉の末弟として生まれた。育った家の庭先は海であったが、家業は農業一筋の零細経営のため父母の子育ては大変であった。父は焼酎が好きで、小さな集落の世話をしながら町の議員を4期務めた。そのため母一人の労働が多く、苦労は並大抵でなかったろうと思う。数少ない一家団欒の中で父は「先生は学校で教育をする人。医者は病人を治す人。船長は安全に航海をする人。色々な仕事の中で、政治が全てを統括して方向を導いて行く大事な仕事だ」と論じていた。結果、私は町長を志したのかもしれない。
私の集落は町の中心部(役場)から4㎞離れていたため、雨の日も風の日も、暑い夏の日も歩いて通学しなければならなかった。考えてみると通学した9年間が健康の礎になり、首長の必要条件であると舒懐している。
企画財政の係長7年、同課長8年、総務課長1年など役場職員として36年間勤務した後、収入役を1期4年務めたので、公務は十分満喫できたと思っていたが、節目で上司と意見が相違し、自分が町長ならばと思うようになっていた。

2 合併した町づくりの方向
希望に満ちた町づくりを展開していくため「夢と活力があり、福祉が充実した町づくり」を政策目標として掲げている。
「夢」は、①国家的プロジェクト事業の三県架橋実現②それを結ぶ地域高規格道路の整備③町民、島民の悲願である獅子島架橋実現④自然を活かした交流人口の拡大など
「活力」は、①農業漁業を中心とした産業と観光が調和した町②都市と地方、旧町間の格差是正③今の経済状況に対する雇用対策④日常生活の利便性を考えた公共事業の導入など
「福祉」は、①福祉事務所を中心とした、行政と住民の顔が見える1万2千人一人ひとりを大切にするきめ細やかな福祉の充実した町づくりなど

3 統一の目玉
隣接していたとはいえ旧2町間には政策に相当の違いがあった。住民の意識も異なり一本化には困難を来たした。
「攻撃は統帥綱領で人心を一点に集中し、守備は離散させる」と言われるように、住民が集中できる政策が欲しいと考える中で、長島一周40㎞の国道、県道沿いに長島の自然石を利用した花壇の回廊づくりを発想した。面的な花公園や花畑は多いがラインとしての整備はあまりない。また、小さな自然石は無人造にあり、町外に持ち出されて庭石等に利用されているだけであった。政策推進には多分に神がかり的要素がある。フラワーロード事業も単独でできる財源はなかった。心配している最中に不況に伴う国の雇用対策や特色ある町づくりの交付金ができた。お陰で計画が順調に進んでいる。
町づくりには、何かひとつ町民が集中できる政策が必要であり、結果として住民が癒され、自慢でき、町外の人々にも感動を与えられたと実感している。

4 強烈な執行体制
町づくりは、強烈な執行者の情熱が必要であり、政治にどんな理想を掲げても情熱と行動力が無ければ政策の実現にはほど遠い。その原動力となる役場職員が先頭でなければならない。私は先ず職員に①笑顔とスピードで対応します。②出来ない理由でなく、出来る方法を考えます。③全力で知恵を出し、知恵がなければ汗を出します。④町長のつもりで夢を描きます。の4点を町民と約束してもらった。その成果は1期4年で確実に現れ、行財政改革はもとより合併時11億円余りであった基金が、21年度末には25億円余り、14億円の積み増しができた。
最後に、政策目標である『夢と活力があり、福祉が充実した町づくり』のために、「貧しくとも、一人ひとりが大切にされ、生きる喜びを実感できる家庭」「住民が参加し、実践し、自慢と誇りを持てる地域」「住民と行政がキャッチボールできる町」を実現したい。「若者には夢と活力を」「社会的弱者には、充実した福祉を」が町長としての将来像である。