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 嘘をつかない事

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年2月8日

南部町長 望月 秀次郎


山梨県と静岡県の県境に位置し、四方を山々に囲まれた典型的な中山間地に属する南部町は、面積200.63平方㎞、人口9,517人(平成21年11月1日現在)で旧富沢町と旧南部町の2つの町が、所謂平成の大合併によって、山梨県で最初に合併を成し遂げた町です。合併した町、合併しなかった町、今なお合併を模索している町など、時の町村長が骨身を削って成し遂げる町作りは、一概にこうあるべきであると十把一絡げにできるものでありませんし、合併をしないのは町村長がその職を失いたくないからであるという論評は、全くの筋違いであり論外であります。
だいぶ以前から町村も経営感覚を持って行政を遂行すべきであるという意見が大半を占めるようになり、費用対効果や、無駄を省くという観点に立った論評や提言が主流を占めるようになりました。確かに、私達が予算を組む時の歳入は、住民の皆様が血の滲むような思いで納めて下さる税金であります。それだけに千円単位の予算の削減もしながら毎年の予算を編成しているのです。
地域住民の皆様から見ると、何故か役場はぬるま湯に浸った中で仕事をしているようにみえる点があるのかもしれませんが、予算編成の折も、日々の業務に取り組む折にも役場職員が、地域住民のことを思わないで仕事をすることなどあり得ません。職員が単に給料を得る手段として役場に勤めているのであれば、町村は疾うの昔に疲弊し、姿を消しているはずです。職員は誰しも役場に勤務できたら自分の住む町を「日本一の町や村」にするのだという気概と希望を持って採用試験に臨んでくるのです。合格し役場に勤務することができた暁には、その気概を忘れることなく退職するまで持ち続けるのです。そうした職員の思いを実現し、我が町はどの町村と比較しても決して劣ることのない町作りをするのが町村長に課せられた大きな仕事の一つであると思っております。
現在、懸命に努力し市を立て直しておられるA市の職員の皆様には大変申し訳ない表現になることをお許し願いたいと存じますが、A市が、世に言うところの倒産という不幸な事実に直面した報道がなされた時、私共の周囲でもうかうかしているとA市になるぞ、という大変厳しい意見が連日のように寄せられました。A市がそのような結果になった原因は諸々の条件が重なった結果でありましょうが、私は職員に原因の1つは民間会社で言えば粉飾決算をしてきたからであると話しました。行政と民間とを問わず粉飾決算などしていたら何が真実なのか分からず対応も全く違ったものになってしまうだろうから、当たり前と言えば当たり前であるが、「正直に予算を編成し執行し、決算すべきである」、この点を見落としてA市の問題を考えると結論が全く違ったものになってしまうのではないかとも話しました。A市のことは、他山の石として学ぶべきであると思っております。
ところで、第45回衆議院選挙で政権が交代するという大変な経験を私共はしております。新しく政権の座に就いた民主党が脱官僚を旗印に事業仕分けという手法の元に予算の無駄遣いを洗い出しています。この手法には賛否が分かれていますが、総じて予算のあり方が国民の目に触れる場所で議論されることに好意的な国民が多いようです。仕分けの対象となった個々の事業については、各界各層の意見があることは当然のことと思いますが、私は少々切り口が粗すぎると思っています。余りに短兵急に事を急がず、足腰をどっしりと据えて国家を作り上げて下さるよう願うものであります。国作り同様、町村作りは、一朝一夕になるものではありません。町村作りの費用の大半が税金であるという現実を踏まえ、いかに無駄を省き、なおかつ住民の皆様が安全で安心して住むことができる町作りをしていく事に、時の町村長の苦労があると考えます。
最後に甚だ生意気な事を記して拙い文章を終えたいと思います。
松代藩(現在の長野県)の財政立て直しに心血を注いだ恩田木工が残したと伝えられる言葉があります。それは「為政者が嘘をつけば領民は必ずその嘘を見抜き信頼しない。領民の信頼なくしては改革はおぼつかない。それ故、為政者は、決して嘘をついてはいけない」という言葉です。改革を断行するにあたり恩田木工が己に課した厳しい姿勢は、いつの世にも通じる人の上に立つ者の姿勢であると思います。