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 「五能線」は健在なり

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年1月18日

秋田県八峰町長 加藤 和夫


「♪窓いっぱいに日本海…♪」と5年前、歌手「水森かおり」は「五能線」を紅白歌合戦で熱唱した。
  
「五能線」と言っても、ご存知ない方が多いと思いますが、五能とは、(旧)青森県五所川原線と(旧)秋田県能代線が全通後、その頭文字をとって命名されたのである。
奥羽本線「東能代駅」を起点に、東に白神山地の山並みを望み、西には日本海を眺めながら秋田・青森二県を跨ぐローカル線で、現在は弘前駅まで運行されている。
この五能線で秋田県境に位置するのがわが八峰町であり、沿線に6駅ある。
昭和30年代の五能線は、地域交通の要として貴重な役割を果たし、それなりの本数も確保され、乗客数も多かった。
特に、朝の一番列車は、能代市へ新鮮な魚や山菜等を運ぶ、ガンガン部隊と呼ばれた沿線の商人達が重い荷を背負い乗り込み、車中は活気に満ち溢れていた。
加えて、能代市内の高校へ通う学生や会社勤めの人々も多く、途中駅で車両を増結する程であった。
又、私の居住地にある岩舘駅は、夏期間、大勢の海水浴客で賑わい、奥羽本線沿いから来る客の為、「カッパ号」と呼ばれた臨時列車を増発していたのである。
しかし、時代が車社会に移行すると同時に利用客は、下降線を辿る一途であった。
当然ながら、利用客の減は本数の減となり、不便になれば利用者がまた減るという悪循環に陥った。
現在、総じてローカル線は、赤字経営に悩まされ、存廃の危機に陥っているところが多いが、五能線も一時期、廃止を囁かれた時もあった。
それを回生させたのは、観光路線の強化であった。
平成2年に「ノスタルジックビュートレイン」と称したレトロ調の洒落た列車を走らせたのがその始まりで、大きな転機は平成5年の「白神山地」世界自然遺産登録であった。
平成9年、JRは、装いも新たに、「リゾートしらかみ号」と名付けた列車を運行開始させた。
ワイドな車窓から、四季折々、日々に変化する日本海の青海原や綺麗な夕陽、白神山地の山並みを楽しめることが次第に知られるところとなり、乗ってみたいローカル線の上位を占めるようになった。
東京発の秋田新幹線で、秋田駅で全車指定の「リゾートしらかみ号」に乗り換えると、あとは奥羽本線から五能線へと乗り換えなしで走ってくれるのである。
その「リゾートしらかみ号」は白神山地に縁のある「ぶな」「くまげら」「青池」の愛称で秋田・弘前間を三往復するまでになり、なかなかの人気である。
本年12月の東北新幹線「青森駅」開業を契機に、秋田・青森駅間を「リゾートしらかみ」で結べば、格段に利便性が向上し、一層、観光路線として、客を呼び込むチャンス到来である。
わが町6駅の中には、白神山地に繋ぐ「あきた白神駅」もあり、ブナ原生林が広がる山々を一望できる「二ツ森」登山口や里山でブナの大木を見ることができる「留山」へアクセスする駅である。
又、農林漁業と観光を主産業とするわが町は、白神の清流で育った美味しい米をはじめ、シイタケや新鮮野菜が豊富で、旬の山菜も宝庫である。
海では、名物「八森ハタハタ」をはじめ、季節によって、活きのよい夏牡蠣、鮪、トラ河豚等々が獲れ、地産の食材を使った料理が楽しめる。
生活路線としては、昔に適わなくなったが地域に活力をもたらし、訪れる多くの人々に癒しと感動を与えるローカル線「五能線」の列車は、今日も快走している。