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小さな島の大きな挑戦~合併五周年を迎えて~

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年9月28日

長崎県新上五島町長 井上 俊昭


長崎県の西方海上、東シナ海に浮かぶ五島列島。その北部に位置する新上五島町は、本年8月1日合併5周年を迎えました。
 
振り返ってみると、様々な局面に翻弄された激動の日々が昨日の事のように甦ってきます。もともと合併前の5つの町は、消防、ごみ、し尿等で広域行政が定着し、町民の日常生活においても深いつながりがあり、合併そのものに多くの反対はありませんでした。それでも総論賛成、各論反対は世の常。やはり「本庁舎の位置」と「新しい町の名称」で対立、綱引きが表面化したのです。
一時は合併協議会破綻も危惧されましたが、「小異を捨て大同につく」という思いが大勢を占め、合併協議が精力的に進められ、難産の末、26,000人の「新上五島町」が誕生したのです。失職となった5人の町長のうち、1人は新町長が決まるまでの職務執行者となり、私ともう1人の町長が「新町長の椅子」をかけて町を二分する激戦に突入することになりました。
あのようなし烈な戦いは、私はもちろん町民もおそらく経験した事は無いでしょう。今でも「あんな選挙はもう2度とないだろう。よく体力が続いたものだ。」と支援者の語り草になっています。しかし、それからがいばらの道でした。
戦いの相手は形を変えて、次から次と襲ってきます。当選の喜びをかみしめる間もなく、旧町から引き継いだ課題や、先送りされていた難問、旧町間の駆け引きや制度の違い、多額に上る地方債の残高。底をついた基金、膨れ上がった約600人の職員と給与格差等々、早急に解決すべき問題が目の前に立ちはだかり、新規政策よりまず危機的状況を打破し、3年後に迫る財政破綻を回避する事が最優先の仕事となりました。厳しい状況は合併前から分かっていた事ですが、折からの三位一体改革で補助金や交付税の削減等が追い打ちをかけてきたのです。この時点で、私は新しい町の土台をしっかりと築く為「今は鬼にならなければならない」と覚悟を決め、徹底的な行財政改革に踏み切ったのです。
各種団体や地域、町民に対する補助金の削減に加え、水道、し尿等の受益者負担の引き上げ、公共事業の凍結、見直しによる地方債借入額の大幅削減、特別職を含む職員給の5年間一律10~20%カット、公共施設の統廃合や民間移譲、道路、公園の維持管理は職員でやる等、ありとあらゆる改革を実施しました。選挙公約で「財政健全化」を訴えていたとはいえ、必死に支援してくれた町民や業界団体の方々を裏切るような行為を次から次と実行する改革は本当に辛く、断腸の日々でした。
それでも様々な不満や葛藤の中で町民も議会も、職員も、業界もこの痛みに耐えてくれました。建設業の倒産、失業、転出という苦しい時期をしのぎ、今では合併前の地方債残高475億円(全会計)が、昨年度末で358億円へと117億円も減らす事ができ、職員数も約100名近く減員でき、財政再建への道筋が見えてきたのです。
まだまだ改革は道半ばですが、同時に行った改革の柱「島の産業再生」の為の「攻め」の戦略が少しずつ成果を出してきています。行政を取り巻く課題に的確に対応するため、観光物産課、まちづくり推進課、世界遺産推進室、産業再生推進本部、こども課など、臨機応変に組織を改編し、長崎県の支援も受けて、東京、大阪、福岡、長崎の県事務所へ町職員を派遣し、観光と五島うどんを中心とした物産の全国展開に努め、今では有名百貨店に定番商品として並べられ、知名度もかなりアップしています。
町内には29ものカトリック教会があり、その中には世界遺産候補にがあり、リストアップされている歴史のある天主堂があります。今、本登録に向け活動中です。
耕作放棄地解消のための芋焼酎も人気です。離島初のコールセンターの誘致も成功しました。成果は紙面には書ききれませんが、今、国の経済対策のおかげで、エコ・アイランド計画が実現の一歩を踏み出そうとしています。電気自動車、風力発電、バイオマス、太陽光等新エネルギーアイランド構想のスタートです。特に電気自動車による島内巡りは新交通情報システムの開発と併せ、世界から注目されるビッグプロジェクトです。
 
失敗を恐れず、果敢に挑戦する小さな島の大きな挑戦はこれからも続きます。