ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

 自治の魂

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年4月20日更新

宮崎県西米良村長  黒木 定藏
  
全国の市町村数は、「平成の合併」により平成11年3月31日現在、3,232であったものが、平成20年3月31日現在では1,793にまで減少し、更に、今後合併予定のものを含めると、平成22年2月1日には、1,772になるもと想定されている。特に町村にあっては、2,562から989に激減し、合併のねらいに近いものが達せられた結果、今回の合併もようやく終焉期を迎えようとしていると思われる。
この合併については、三位一体の改革をはじめとする、効率性や自己責任の追求を求めた小泉改革と相まって、町村にとって強力な圧力と将来不安を感じたことも否めない事実であった。
本来、合併の目的は、より高いレベルの住民サービスの長期安定性や効率性、更には専門性の追求に外ならないと思う。従って自主的、自発的な住民の意思によって判断されるべきであろう。決して多岐亡羊の回避の一手段であってはならない。
現在、合併特例法の期限であった平成17年3月末から4年の歳月が流れ、各地でその検証が始まっている。その報告書を見る限り、社会資本の整備分野では合併特例債の活用等によってかなり進んだと言える。また、集中した投資も可能になったこともメリットとして評されている。確かに整備の遅れていた地域の条件の改善や資本の合理化は着実に確保され、充足度を上げることが出来ている。しかし、主目的とされた財政の健全化や住民自治の質が上がったかについては、いささかの疑念を抱かざるを得ないのである。 
人口1,300余名の私の村にも、俗に言う「限界集落」が存在する。8つの集落の中の1つで、2年前には高齢化率73%、100名余りの小川集落である。「村が消える」の思いが住民の脳裏に離れない毎日が続いていた。その様な中で、潜在的な反骨精神は次第に憂いのつのる住民の心の中で小さな芽吹きを始めていた。そのきっかけとなったのは、公民館長の「座して死を待つのか!」の言葉である。 
この集落は、かつて領主の居城の地であり、「皆農皆士」の制度の中で「凛」とした武士道も継承されていたこともあり、誇りを今に忘れてはいない土地柄なのである
村の支援の下、地域活性化に向け、3年もの期間をかけた住民の心もとなくも意欲的な取り組みが始まった。第一段階として意識づくりや組織づくり等、住民主体の村づくりが動き出したのである。平均年齢66歳のこの地区で、昨年、遠くは福島県、岩手県をはじめ6回の先進地の視察研修を含め、実に40回を越す会議等が行われた。その結果、「平成の桃源郷・小川作小屋村づくり」の具現化に向けて、主体となる協議会も産声を上げ、僻陬の寒村に新たな可能性を求めての息吹が確実に聞こえ始めたのである。まさに、「窮すれば通ず」の言葉通りである。
このように、決して豊かな地でも利便性の高い地でもないこの地で、しかも高齢者が多数を占める中、将来に希望的観測をもって地域づくりに駆り立てるのは果たして何であろうか。合理性や効率性、ましてや金や物ではないと思う。住民皆の心にあるのは、どこまでも純粋なこの地を愛する心や責任感、そして自らの誇りに外ならないと思う。まさに、住民総参加の下、その総意により集落自治を実現し、共存同栄を図ろうとする新しい形の山間地集落の出現である。
地方自治も同じではなかろうか。どんなに規模が大きくなり行政組織の細分化、専門性が図られようとも、その地を愛する心が薄れ、住民と行政が乖離の下では、「仏作って魂入れず」の例の通り、決して活力がみなぎる住み良い地になれないのではなかろうか。

これからの地方自治は、住民との協働の自治の確立の根源に、郷土愛、隣人愛を置き、将来に責任と希 望を持つ政策を遂行しなければならないと思う。「自治」とは生き物であり「心」も「魂」も持ち合わせなければならないと思う。魂宿る所に展望は自ら開けてくるのである。
ちなみに、先述の小川地区の高齢化率はすでに低下し、今秋には60%程度がその視野に入ってきたことで、まさに「いきいき集落」の誕生である。