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 球音に想う

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年3月23日

球音に想う

茨城県境町長  野村 康雄

 
息子が、学校から帰ってくる。ランドセルを下ろすやバッドを持ち200回の素振りを。その後、少し休憩を挟み約100球のティーバッティング。夕方になるとバッティングセンターに行き、バッティングと捕球の練習を100球から200球。週のうち2日から3日は、こんな日々が続きました。
 
小学4年生3学期を迎えたころ、友達2人と一緒に野球をしたいと言い出しました。私も大好きな野球。子供とキャッチボールをすることが、楽しみでもあり、夢でもありましたので、「絶対途中で投げ出さない」ことを条件にオーケーしました。
 
しかしながら、背も小さく、運動神経も今ひとつという感が否めないのも事実。それまで通っていたスイミングスクールの成果で、水泳に関しては、自信を得てきたばかりの子でした。
 
5年生に進み、ゴールデンウィークを迎えたころ、なかなか見に行く機会に恵まれなかったチームの練習を見て、そのレベルの高さに驚きました。監督が私の中学時代の後輩ということもあり、いろいろ話をしましたが、監督の意見も1年後、6年生7人、5年生2人のレギュラーには、無理かといわれていたものです。息子が5年生の年のチームは少数精鋭で、学童野球県大会で優勝し、関東大会、全国大会にも出場という快挙を成し遂げました。15人しかいないチームでしたので、ベンチには入れた息子でしたが、無論出番はありませんでした。

チームの一員として、必死に声を出し、試合には出られなくとも、一致団結している姿を応援に行っていた私も妻もその姿を目の当たりにし、感動したものです。3月になり、息子達が中心となる年となりました。息子は、どうしてもレギュラーになりたい。そして、県大会にも出場したいと懇願するようになりました。
 
私は、息子にレギュラーになれなくとも卒業まで、「絶対に野球をやめることはないか」を入団時と同じく確認したものです。県大会に向けて、レギュラーに向かって、私と息子の間で、学校から帰ってからの練習。どんなに疲れていても宿題と、国語・算数の勉強を欠かさないことの約束をし、私と息子の特訓を開始しました。毎日200回の素振りは、かなりきつかったようです。
 
6年生になり、毎日の練習、いろいろな大会の試合と、本格的な野球シーズンとなり、ずば抜けた素質を持つ1人の子供を中心に、チームがひとつになり、近隣では、強いチームとして一目置かれるようになりました。
 
息子も練習、特訓の成果もあり、念願であったレギュラーにもなれ、チームの中でもそこそこのリーダーになりつつありました。3大会のうち「スポーツ少年団軟式野球大会」と「ちびっ子少年野球大会」の2大会でベスト4になりましたが、ついに優勝はできませんでした。しかし、この充実した1年余りは、息子にとって、野球を通して得られた「集中力」、やれば出来るということ。最後まであきらめないということを身をもって体験したようです。
 
その結果は、息子にとってその後の成長に大きく関わり、中学、高校は水泳部に所属する傍ら音楽にも興味を示しながら、勉強に「集中力」を発揮し、その後「東京大学医学部」に籍をおき、今では、医者として七年目を迎えております。1男1女に恵まれ、私の事も、心配してくれるほどになりました。
 
球音が聞こえる時期になると、息子の小学生の頃を思い出します。私も今、たいへん厳しい時代ですが、「初心忘れず」「やればできる」の精神で頑張っています。