ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  挑戦者であり続けること

 挑戦者であり続けること

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年2月23日

挑戦者であり続けること

千葉県東庄町長 岩田 利雄



私が小学校に上がった昭和30年当時、日本は経済復興の真っ只中にあった。今振り返るとソニーやホンダといった世界をリードする企業が生まれ、日本の精緻な技術が諸外国から認められつつある頃であり、社会は何も無いところから何かを創り出そうとする生気に溢れた時代であった。熱い思いと使命感で画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人達」が日本経済の復興を支えたに違いない。

かつてそのような人々に光を当てたテレビ番組があった。身近で、懐かしく興味深い話がある。自動炊飯器、つまり電気釜の開発の話である。戦後、とある町工場を営む夫婦。進駐軍からの電気温水器の受注で業績を伸ばすが、43万人もいた進駐軍が撤退し、一挙に倒産の危機に。そこに東芝の営業マンから話がある。「電気温水器の技術を活かし、自動の電気釜を開発しないか。」一家の未来を電気釜開発にかけることに。

しかし簡単にはいかない。実験と試行錯誤の連続。100度で20分炊いて火を消すのが美味しく炊くコツと発見するが、これを自動で、となると難しい。一定の温度で炊き、自動的にスイッチが切れる仕組み。試作器をつくっては実験を繰り返す。一分毎に温度変化の記録を採る妻は、昼夜の作業で病に倒れるが、子供たちがフォローする。3年目にして、ついに自動電気釜は完成し、東芝から発売されるのに至るのである。

今思えば、私が8歳のとき父親が買ってきたのは、まさにこの自動電気釜であった。研いだ米の容器の下に水を入れる二重構造、これが100度という一定の温度で炊く工夫であった。懐かしい話である。

考えると、当時主婦にとっては飯炊きはたいへんな苦労であったはずだ。うまく炊くには火加減は重要。かまどから離れられない。掃除、洗濯をこなし、日に3度炊くとなれば、自分の時間がもてないのも道理である。主婦は電気釜の普及で3時間の自由な時間を持てるようになったという。自動電気釜の開発は女性の社会進出、そして女性が活躍する社会の形成に大きな役割を果たしたと言える。日本の台所を劇的に変えたこの電気製品は、町工場の一家族の知恵と努力の結晶であり、倒産の危機を乗り越える一大プロジェクトであった。

この初代が誕生して50年、電気釜は進化を遂げた。この進化した電気釜をつかい、さらに自分の水加減で、好みにぴったり合った炊き方ができたとき、これが実に旨い。湯気あがるツヤツヤのご飯を、茶碗に盛り、なんともいえない香りをかぐとき、私の一番ホットする時間となる。モリモリと元気が漲ってくるときでもある。初代電気釜の開発者に感謝することしきりである。

私は、「ものづくり」にかけた人々の生き方が好きである。遥か未来の目標に向かい、試行錯誤を繰り返し、ひた向きに努力をすることである。

今日、社会情勢は、経済の低迷、雇用不安等見通しは、決して明るいものではない。

地方の元気なまちづくりに置き換えたとき、熱意と信念を持った人間が数人集まれば、何か事は起こせると思っている。数人のプロジェクトが、はじめの一歩を踏み出し、他の自治体に誇れるものを作りあげたとしたら、その満足感は言葉に変え難いはずである。

「住むことに快適なまち」の実現に向け、使命感をバネに東庄町の英知を結集したプロジェクトXが生まれることを期待し、私もまた挑戦者であり続けたい。