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 私のめざすまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年1月19日

福岡県新宮町長  中野 昌昭


新宮町は、昭和の大合併により、昭和30年4月に旧新宮町と立花村が合併し、新しく「新宮町」として誕生して以来、平成17年に50年目を迎えました。
合併当時の人口は、8千人足らずでしたが、高度成長期に入り新宮町も時代の流れとともに変化を遂げ、「農漁業の町」から企業誘致による「生産の町」、あるいは母都市である福岡市の「ベットタウン」として発展を続け、現在においては2万4千人の人口となり、まだまだ、成長を続けております。
また、町の西には、特別天然記念物に指定されたクスノキの原生林が分布する立花山、東には、玄海国定公園に指定された白砂青松の新宮海岸、そして、朝鮮通信使が立ち寄ったとされる歴史あふれる相島など、山あり、海あり、島ありの自然に恵まれた町です。
この、親から子どもたちへと引き継がれてきた素晴らしい環境を次の世代の子どもたちへ、そして、孫たちへ受け継ぐことのできるまちづくりを目指して、「つなげよう次世代へ 環境共生と生涯学習のまちづくり」をキャッチフレーズに第4次総合計画に基づいた取組みを進めております。
中でも、現在進めております中心市街地事業は、これだけの環境を有する新宮町にとって中心地がないということから端を発し、計画から15年かかり、平成19年1月に着工となりました。
この中心市街地は、福岡県の主要道ともいえる国道3号線とJR鹿児島本線に挟まれた約30ヘクタールという広大な敷地に、生活環境整備を目的とした地下完全埋没型の水浄化センターを中心に、大型商業施設の誘致やJR新駅の建設によるさらなる利便性の向上、そして、緑豊かなセントラルパークの整備など、次世代に残せる環境と共生したコンパクトシティとして、新宮町の顔となり、全国の代表的な街並みとなると信じております。
一方、国の財政のあおりを受けて、全国の自治体が大変な状況に置かれている中、本町も例外なく、地方交付税だけでも約70%もカットされている状況にあります。この様な中、他力本願ではなく今こそ蒔いた種が芽をふき、実がなる事こそが自助努力であり、自立のまちへつながっていくものと確信いたして居ります。
我々首長は、住民の皆さんの未来、運命を背負っており、現在の財政難の中では職員の数を減らさないと太刀打ち出来ないのが現状です。本町で現在策定中の第5次総合計画の中では、職員数を減らしながら、業務量は増えるという問題への対応が必要になるものと考えています。そのためにも、職員の資質、能力を向上し、やる気のある職員育成が、これからの各自治体にとって大切なことではないのでしょうか。限られた財源の中、より質の高い行政運営を行っていくには、今まで、100%の仕事をしていたものをさらに、少しでもレベルUPして、職員一人ひとりがスペシャリストとなることです。まちづくりは人づくりと申しますが、人づくりなくして、まちづくりはありえません。人づくりが最重要課題であると位置づけて、現在、人材育成に取組んでいるところです。
また、平成の大合併の中、本町は単独でいくことを選びました。私自身、合併は否定するものではありませんが、まずは、足腰の強いまちづくりが大切だと考えています。地方分権を推進するための方法の一つとして考えられた合併が、最近では、財政が苦しいから合併するという方向に進んでいるように感じ、目的が変わってしまっているのではないかと心配しているところです。合併問題は、良い嫁になりたい、良い婿になりたいわけで、本町の場合は、花嫁修業と思って、財政が苦しくても歯を食いしばって是非合併してもらいたいといわれるような足腰の強いまちづくりを第一に進めていくべきと考えています。
国会議事堂横にある憲政記念館の入り口に「人生の本舞台は常に将来にある」という尾崎行雄氏の語り口が掲げてあります。私の頭の中には常にこの言葉がありますが、同じ行政を担う立場の首長さん方におかれましても、まちづくりにしても何事においても、目先のことだけでなく、今、少々苦しいことがあってもやはり、本舞台は常に将来にあるということを肝に銘じて、人づくりを基本とした足腰の強いまちづくりに励んでいくべきだと思っております。