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 自然の摂理に学ぶ

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年1月12日

自然の摂理に学ぶ

宮崎県諸塚村長  成崎 孝孜



私達の村諸塚村は、宮崎県の北西部にあり東は大分県に、西は熊本県に程近い位置にあります。九州の屋根と云われ標高1,000m級の山々が聳え立ち、その中で諸塚村を代表する霊山「諸塚山」のことを、日向地誌によると「満山樹木翁欝(うつそう)地勢けんぴ樵夫(きこり))猟師に至るに能はざる処多し」とあります。山ひだは重り合い無数の沢が幾筋もの渓流となって七ツ山川、柳原川の2つの川に注ぎ込んでいます。村の面積は187平方キロメートルの95%が森林で耕地は僅か1%にも満たず、市町村の形態別では純山村で、その山々の麓から中腹迄、つまり標高で云えば750m~1,050mのところに80程の集落が村内一円に点在しています。そこに住む人々が豊かな自然に心身の甦りを強く実感するのは、その地方の風土ゆえのことであろうと思います。

人類の文化は森林から生れたと云われます。それ故に、そこに住む人達は森(自然)に対する畏敬の念は、殊更に強いものがあります。人口も最近では2,000人を割り込み、平成19年度予算の決算では41億8千万という過疎の村です。

最近になってよく思うことは、このような村に人類が住みついたのは、一体いつ頃のことであろうかということです。それを説明できる資料がないだけに、住宅跡とみられる洞穴や遺跡とか、学問的に調査された資料によって推測するしか方法がありません。それ等によると少なくとも15000年~20000年前から既に人類生活があったものと考えられます。まだ耕作することを知らず自然の果実や鳥獣を食料として生活していたであろう古代人にとっては、この恵まれた自然の山野が生活の宝庫であったことは、昔に遡ればさかのぼる程、豊かであった筈であります。

日本建国神話の目玉ともいうべき、天孫降臨の物語の中で、皇室の遠祖ににぎのみこと(※外字のためひらがなで表示)が最初に降り立ったところは、日向の高千穂と「古事記」にも明記してあり、我々の住んでいる諸塚村も、その高千穂の中にあるので、天孫降臨の神話はよそごとではなく、いずれにしてもこの山岳地帯に日本民族の発祥はあったと考えて良いのではないでしょうか。

時は移り、今や人類は衛星で宇宙に旅する時代となりました。弱肉強食の関係は、地球誕生以来、46億年続いていると云われる今、地球上で最も大きな力と知恵を持っているのは、勿論、我々人類であることは間違いありません。地球の未来を考え、限られた資源を活用しながら豊かな暮しを維持するためエネルギー確保に取り組んでいます。裏を返せば地球は人類の力で良くも悪くもなります。その過程で私達が守らなければならないこと、それは地球の生態系を破壊せず、弱い動植物の生息環境を脅かしてはならないことです。

今迄に市場経済中心に発展して来た日本社会は、今後どうなっていくのだろうか?

このままの社会が続くと、自然破壊は勿論、都市と中山間地の格差は益々開くことになり、均衡ある国の発展は望めないのではないでしょうか。

今、過疎の集落は全国で約62,300のうち限界集落と云われるものが約7,900(宮崎県では「いきいき集落」という)あり、将来無人化して消滅の恐れのある集落は2,600あり、国土を保全していくことさえ懸念されています。我々の住んでいる集落は生きものであります。戸数や人口、高齢化比率といった数値だけでは到底その価値は測れないと思います。そこには人と人の付き合いや様々な生きる術や文化が息づいております。

明治の文豪徳富蘆花は、すでにあの時代に「国家の実力は地方に存す。地方の生血新鮮ならば一国も又元気旺盛となる。黙って働く自然の力にしみじみ感謝せずにはいられない、都市に健全な血液を送るのは地方の責任…」と述べています。

多くの都市が河口に形成されております。河口が健全であるためには、その上流を如何に健全に保つかを、河口に住む人々を含めて考え見る必要があると思います。

地球を守り国土を保全しながら、安心安全な社会を形成しそれを守っていくためには、上流に住んで直接森(自然)を守っている人も、その恩恵を受ける川下の人達も同じ気持ちで自分達が住んでいる、かけがえのない国土をしっかりと見つめていかねばならないと思います。それは、気息奄々としてではなく、ゆったりとした思いのできる過疎地の再生をはかることではないかと思うこの頃であります。