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 宇喜多堤

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月2日

宇喜多堤

岡山県早島町長 佐藤 友彦



早島町の中心部を走る県道は古くから「宇喜多堤(うきたつつみ)」と呼ばれているが、これが県南部に広がる広大な干拓地の起点であることは余り知られて無いようである。天正年間の秀吉による高松城の水攻め(1582年)が余りにも有名であり、その後の地元の歴史が埋もれてしまったのかもしれない。足守川に土手を築き、水を思うがままに操った土木水利技術を応用し、岡豊前守が県南の大干拓に取り掛かったのは、秀吉が天下をほぼ平定した時期である。この大プロジェクトを成功させた宇喜多秀家の決断のスピードとスケールの大きさに人物の大きさが伺える。軍事技術が平時に民間に応用されることは多くの例を見るが、420年も昔に我が故郷で実在したのは驚きと共に誇りでもある。

干拓が終わった土地には十分な水が必要であり、岡豊前守の指揮のもと近郊の農民たちが集まって作ったのが現存する「八ヶ郷用水」である。高梁川から延々と壕を掘り、早島町まで凡そ10㎞に及ぶ用水路を完成した先人の努力と見識に頭が下がる思いである。

その後、当地は恵まれた気候と広大な農地のお陰で「藺草の町」として発展し、江戸の町でも「畳表(早島表)」で知られる存在になった。これを知って、四国の金比羅宮へ参拝する人たちが立ち寄り、往来の町としても大いに賑わったようである。

現在、早島町のJR駅の南に広がる圃場は、東西に走る用水と南北に伸びる用水に囲まれ、1町歩毎の水田が整然と並んでおり、この用水の恩恵を受けている。一時、この用水は生活排水による汚れが目立ったが、下水道施設が完備したお陰で昔の面影を取り戻し、鮒やめだかが戻ってきたし、冬には鴨の飛来が見られるようになった。また、オニバスが群生する数少ない名所でもある。

さて、このような先人が築いてきた社会遺産を自然環境と共に次世代に引き継いでいくことは我々の責務であるが、一方で地域の発展に伴い農地が住宅化し、生産性の高い工場用地として変貌していくことも避けられない事実である。

この環境を守るために早島町は県下で唯一、町全域を対象とした景観条例を制定した。まちの開発が景観計画の下に進められることは勿論であるが、この条例の根底にあるものは「町民総参加の町づくり」であり、地域住民による「町づくり」への取り組みが必須の条件である。この意味で、この条例は地域開発に制限を課すことが目的ではなく、地域住民が自ら町の環境を守るためのガイドラインでなければならない。

私たちがこの町に住んでいることに誇りを感じ、これからも早島に住み続けたいと感じさせてくれるもの全てを景観と捉え、目に見える造形物だけではなく、歴史、文化、生活環境までも包含したまちづくりの指針である。ゆくゆくはこのような条例が地域協定に発展し、それぞれの地域で住民による景観協定、環境協定となり、地域住民がまちの美しさ、住みやすさを自慢し合うようなことになれば、最高である。

また、まちの景観を守り育てる重要な要素にゴミの問題がある。不法投棄、落書きをなくす為には、まちを綺麗にしようとする住民の強い意志が不可欠であり、こうした住民の提言を基に昨年早島町JR駅前広場に「早島町環境宣言」の塔が建立された。「水と緑の美しい町、ゴミ、落書きのない町、守り育てるきれいな町」をスローガンに町民のモラル向上に努める一方、住民で結成された監視隊が日夜活動している。

まさに、住民の、住民による、住民のための景観、環境づくりがスタートしたところであり、町づくりの一環として皆で大切に育て、次世代に引き継がれるよう努力したいと思う。