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 歴史と文化・工業・バラのまちに誇り!!

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年5月26日

岐阜県神戸町長  吉田 弘義


「神戸町(ごうどちょう)が誇れるものは何ですか…?」という質問には迷わず「歴史と文化、工業、バラのまち」と答えられる神戸町だと自負しています。
神戸町は岐阜県の西南部に位置し、西に伊吹山、北に白山山系の山々を望み、東は清流揖斐川に沿い、南は濃尾平野に連なる平坦地で、南北に三角形をなした自然と工業が調和した人口二万人余の豊かなまちです。
本町は、歴史の町として起源も古く、奈良・平安時代の初めのころに開かれた地域と言われています。町の中心に鎮座する金弊社「日吉神社」の境内には国の重要文化財の三重塔をはじめ、国・県の重要文化財が十六点、そのほかにも町内には県の重要文化財が数多く点在しており、これらが現在も大切に保護、継承されています。また、日吉神社の例祭である「神戸山王まつり」は、七社の神輿が松明の火の中で華麗に舞う豪華絢爛な火祭りで、神戸町民のエネルギーの源というにふさわしい勇壮な祭りです。これだけの祭りが九百年来継承されていることにうれしさを感じるとともに、このエネルギーをまちづくりに転化していきたいという思いがこの祭りに接するたびに心の中に湧きあがってきます。 
このお祭りと同時期の五月には、神戸町日比野五鳳(ひびのごほう)記念美術館では神戸町が輩出した現代かな書壇の最高峰にあられた日比野五鳳先生(文化功労者、昭和六〇年一月没)の春季展が始まります。五鳳館に入ると穏和な笑みを浮かべた先生の翁像が来館者を迎え入れてくれます。先生は、「かなの至宝」と言われ、書を類まれなる芸術まで昇華させた書家として今なお私たちの心に鮮やかな足跡を残しています。郷土を深く愛された先生の来館者に向けられる優しい微笑みを拝見するたびに、先生の作品を末永く後世に伝えていかなければ、という思いをいつも再認識させていただいています。
またこの時期五月から六月は、町の花である「バラ」の花が町内一斉に咲き誇る時期です。神戸町は切りバラの生産で、東海随一の生産地と知られています。最盛期には年間六百万本以上、全国でも有数の産地として成長してきました。私も町の職員であった頃生産組合の皆さんと夜遅くまで話し合い、バラを生かしたまちづくりに汗を流してきたことを思い出します。
このバラ団地に、平成三年、天皇皇后両陛下の御行幸を賜り、平成六年には紀宮さま、平成十七年には秋篠宮同妃両陛下にご視察をいただき、皇族の皆様方に神戸町のバラを見ていただく機会を三度も得ることができ、神戸町民ともども大変誇りに思っています。現在、バラ団地内には、生産者の努力とアイデアにより全天候型の観光バラ園があり、観光客など多くの皆さまにお越しいただいています。また、平成二十二年五月には本町で「第十九回ばら制定都市会議」(通称:全国ばらサミット)の開催が決まっており、これを機会にさらにバラを生かしたまちづくりを積極的に進めていきたいと思っています。
今、地方自治体では財政の基盤を支える財源の確保が急務の課題となっています。神戸町は昭和三十一年に地方財政再建団体に指定されたことがあります。その苦い経験を生かし昭和四十年代に入り大規模な工業団地を誘致するという大プロジェクトを立ち上げました。私も職員の一人として加わり議会議員と共に地権者のご理解とご協力を求め、毎晩夜遅くまで折衝に明け暮れていたことを思い出します。このプロジェクトの成功が、今の豊かな神戸町のその礎になっているのだと感じています。この自主財源の確保という地方分権時代の要請に、一昨年度からさらにもう一つの工業団地を造り誘致を進めてきました。幸い優良な大企業の誘致が決まり、現在急ピッチで工場建設が進められています。この小さな町に現在、東レ(株)のほかに大企業七社が操業しておりますが、この現状に甘えることなく、健全な財政の継続を図り、持続可能な行政経営を行っていきたいと思っています。そして、先人たちの努力とアイデアで守りとおされてきたこのまちの歴史と文化をいつまでも誇りとすることができるまちづくりをこれからも進めていきたいと思っています。