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 美の創作は地域づくりに通じる

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年9月3日

福島県下郷町長  湯田 雄二

 


ロクロで木材を回転させながら形を作っていく木地挽き。自宅にこの小さい小屋を設けた。暇なときにここに隠れて楽しむつもりだ。が、現実はままならない。県の町村会長になってからは特に家にいる暇がない。
なぜロクロなのか。それは、学生時代窯業科目を選んだこともあり、やはりものづくりが好きなのだろうと、我ながら思ってしまった。 
きっかけは、町長に就任して間もなくしかけた村おこしにある。村おこしに約4億円を準備し、38集落を対象に1集落上限1千万円の事業を呼びかけた。審査をパスした10集落が知恵を絞り立ち上がってくれた。他制度の補助残に充当することも認めた。結果、ある集落では2千万円近くの事業に取り組み、それがきっかけで廃校を利用した自然体験施設の指定管理を受けた集落もある。
道州制の論議がくすぶる昨今、当面の生き残りをかけた人口7千人の町が、ひたむきに挑戦している素顔を、ある集落の活動を通し見ていただきたい。
65歳以上約7割、40年前の200人の人口は50人弱。中学生1人。戸数21戸。ほか不在4戸。若いもの(44歳が最年少)の職場は、町役場、農協、町の公社、民間福祉サービス会社とダンプの運転で人数一ケタ。「村がなくなってもいいのか」とハッパをかけ、5人がようやく乗ってきた。私は直接話しには加わらない。あくまでもそこにあるもので何ができるか、町の金がなくなった後も続けられるものをつくれとしか言わない。
村の川向かいの山一面に咲く山桜、これが起爆剤となった。樹齢100年余、本数は若木まで含めると約300本。村人は、明治初期から樹種を定め禁伐とする掟を守り受け継いで来た。これが桜を守る背景にあり、静かに反響をひろげていた。
母屋、土蔵、納屋、農機具小屋をそのままにして離村した者から、建物の処分と引き換えに土地を借り、多目的広場と公衆トイレを作った。
昔生業であった炭焼きを復元しようと、炭窯を作った。
「木地小屋」の集落名のとおり、木地産業で成り立っていた村の再生に、木地発祥の地から技術者を迎え水車式木地ろくろを導入し、木地挽きと漆塗りを教わり始めた。
地元の要請にこたえ町は、「地域再生計画」をもとに休校中の分校を宿泊体験施設にリニューアルした。 平成15年度から動きだしたこの集落は、「あるもの探し」の地域学習会と、山桜祭りなどのイベントを重ね、村に活気を呼び戻す手ごたえを実感しつつある。
自然体験施設は、展示ギャラリーも兼ね備え、プロの風景写真家の常設展と一般募集による写真教室や、自然探勝愛好家の気軽な宿としてファンの広がりを見せている。
これが村おこしの一例である。ここで、注意したいのは、都会に迎合しない町づくりである。すなわち自然を大切にし、素朴な暮らしそのものが人間性豊かな生き方であることに気づき誇りを持ってこそ、持続可能な地域づくりができるのだと思う。
国の選定を受けている伝統的建造物群「大内宿」には年間90万人が訪れている。ありがたいことである。大内宿は農村としての景観に宿場がマッチしているからゆえに人を寄せ付ける力になっている。大内宿が農村の暮らしを忘れて観光だけに没するようなことになれば、来訪客数といううわべの現象に目を奪われ、素朴な心を置き去りにした村となり、とりかえしのつかないことになってしまうだろう。
 地域再生にチャレンジしようとする心を育て支援することが、為政者としての責任であり、最大の喜びでもある。どんな町をつくるか、どんな村をつくるかと思案を練るとき大切なことは、多くの情報を集めて開示し、住民が動き出すきっかけをつかむことができる環境を整え、住民を信じることである。
 私も、いまの仕事で得ている幅広い刺激を貴重な素材とし、先人が到達した器の美、これに追いつきそれを超えることができるような感性をもって、いつかはひっそりと小屋にこもり、思い切り木地挽きに熱中したいものである。
 (注)「木地挽き」とは、木地のままで盆・椀・玩具などの細工をすること。また、その職人。