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 昔と今を想う

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年8月27日

昔と今を想う

兵庫県神河町長  足立 理秋


私は、この世に生を受けて70数年経ちました。戦中、戦後の荒廃した時代を少年期として過ごし、今の時代からは想像できない、テレビはおろか、ない無い尽くしで飢えの時代でありました。もちろん勉強は二の次で近所の遊び仲間と外で暗くなるまで遊んでいました。しかし、農繁期には、農作業を手伝うなど子どもらしい毎日を過ごしていたように思います。

そして、昭和30年代になりますと、高度経済成長時代に入り昭和35年からは、黄金の年代と言われ、高度経済成長を謳歌する大変よき時代でありました。

当時、私は、町職員として税務、財政の仕事にも関わっていましたが、税収が毎年大きく伸びていた記憶があります。同時にこの年代は、青年団活動に没頭し、野球、野外活動、素人演芸会等々団員のコミュニティづくりを図り、よく朝まで飲み明かした思い出は、いまでも鮮明に甦ります。機械いじりや、とりわけカメラにも興味がありましたので、当時の仲間と振り返りながら昔は良かったと語り合うこともしばしばです。

それからは、高度経済成長とともに各家庭にはテレビ、車、クーラー等が普及し人々の生活様式は、大きく様変わりしました。 

行政面では、昭和40年代に入り学校施設の改築、町道整備、水道施設、圃場整備、総合病院としての改築、下水道整備等々インフラ整備に力点を置き、為政者のもと進められてきました。

高度経済成長が鈍化し、バブル経済が弾けて久しい平成5年1月に旧神崎町の町政を担うことになり、町村合併を経て現在に至っています。

旧神崎町では、財政力が弱く常に3割自治体の宿命を負いながら、住民福祉サービスの向上を期するため、補助事業の採択に奔走しながら各種施策に取組んできました。

しかし、社会全体が右肩上がりの時代に終わりを告げ、かつて経験したことのない時代に入り、これに耐えられる体質・体制をつくるための市町村合併問題に関係町とともに真剣に協議を重ね、若干の紆余曲折を経て平成17年11月7日に、 「ハートがふれあう住民自治の町」を目指した人口1万3千人の新町神河町が誕生しました。

私は、何よりも旧神崎町と旧大河内町の垣根を取り払い、旧町意識を払拭し、早期融和を図ることが最優先と考え、新町の舵取り役として、決意を固めたところです。

旧神崎町と旧大河内町は、古くから歴史的、地理的風土、また経済的にも結びつきが強く、地域住民の日常生活においても活発な交流が行われてきましたので町民相互の新しいまちづくりの熱意によって早晩解消されるものと念じています。

しかしながら、今すぐ一つの町として歩んでいくことは、まだまだ相互の理解と信頼が必要でそのためには、対話を重視した町民参画の機会を増やし協働社会の実現が必要と考えます。よく言われますように、合併はあくまでスタートであって、ゴールではありません。この合併を契機に新町神河町をどのようなまちづくりにしていくのか、何を目指すのかが重要なポイントです。 

今、少子・高齢化による人口減少時代に入り、国では、分権型社会システムの転換を目指していますので、神河町においても厳しい財政状況や地域経済状況を踏まえて、新しい視点に立った不断の行財政改革に取組み、危機意識と改革意欲を私と職員が共有して山積する課題解決にあたることとしております。

そして、行政の役割、地域・住民の役割を点検し、住民相互の支えあいを基本に手の届かない所は、行政が支援する仕組みとして地域サロンの場を活発化して、昔のよさを思い起こし町民相互のふれあいを大切にしていきたいと考えています。