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 旅と道中

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年7月23日

大分県町村会長 玖珠町長 小林公明


「旅行けば、駿河の国に茶の香り。名代なるかな東海道。名所古蹟の多いとこ・・・」ちょっと古い話だが広沢虎造得意の浪花節、森の石松金毘羅代参の一節。次郎長一家の石松が代表して刀を納めに行くときの道中ばなしである。町村会長など関係団体役員を仰せつかると、町を留守にして県外へ出かけることが多くなった。いわゆる公務旅行であるが旅行はしても旅をしたという実感はほとんどない。
たとえ観光目的であっても現代の旅は石松の時代とは様がわり。車や電車で目的地へ一直線、旅は手段であってその目的は目的地に着くこと。道中を楽しむ旅本来のよろこびなんてめったに味わえない。
「酒のみねえ。寿司くいねぇ、江戸っ子だってねえ・・・」帰りの船の中で石松は道づれになった江戸っ子をおだて、次郎長一家で一番強い子分の名を聞きだそうとする。
この石松の話も往きかえりの道中がおもしろいのであって目的地での話は短く、精彩を欠いてしまう。
今年の5月、海外地方行政調査に参加し、オーストリアなど東欧諸国を訪れたが往きかえりはおよそ12時間、道中ならぬ機中であった。目的地はともかく機中ではみやげになるような話はなにもない。
それにしても定着農耕民であった日本人が旅を始めたのはなぜだろうか。親分の代わりにお宮に参ろうとする石松。仲間からは自分の分も拝んでくれよと餞別が渡され水盃をして旅立つ。帰りのふところにはお宮でいただいたみやげ(宮笥)がいっぱい。日本人ほど旅先でみやげを買う人はいないというが餞別・みやげの関係・現代に残ったということだろうか。石松の話に限らず日本人の旅の始まりは、神社に参詣するようになったことと期を同じくしており、信仰の力があったものと考えられる。
旅の楽しみは道中にあり、といっても石松の時代の旅は危険がいっぱい。楽しいことだけでなくつらいことや苦しいこともあったはず。ときには旅に出たまま帰ってこなかったということも。旅人は「食べ人」に通じ、英語のトラベルは「苦労」に通じるというから西洋でも同じ様なものらしい。 
私がはじめて海外に旅立ったのは40年前、第3次中東戦争の直後だった。今では考えられないかもしれないが羽田へ向かう電車のホーム、水盃こそなかったが多くの家族、同僚に見送られた。とにかく元気に帰ってこいと。およそ40日間の欧米ひとり旅。想いかえすと旅行中は苦労の連続、危険な場面にあったことも何度かあった。それだけに忘れられぬ思い出も多い。旅をするならひとり旅といまだに思うのは、旅には本来楽しみや苦しみがあるもの、ツアーやパックでは味わえない道中があると思うからだ。
旅に楽しみや苦しみはつきもの。そのせいか旅は人が場所を移動するというだけでなく、人生そのものを旅にたとえることがある。「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり」生まれてから死ぬまでの時間経過。その道中はまさに人生の旅路であるという。ひょっとしたら町長などという職に就いている間はその道中なのかも知れない。確かにひとり旅、この道中はつらいことや苦しいことが多いが、石松の金毘羅代参よろしく楽しくおもしろく旅をつづけたいと思う。あまりおもしろい話ではないが、いずれ帰らぬ旅などという旅をする日が来るのだから。