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 地域づくりは人づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年7月2日

長野県下條村長  伊藤 喜平


当下條村は、長野県の最南端、下伊那郡のほぼ中央に位置する、人口4,200人余の、総面積38平方kmの7割近くを山林や原野が占める農山村で、地域の中心である飯田市に隣接しているものの、大都市圏からのアクセスは決していいとはいえない小さな村であります。ところがこの1、2年、ほかの自治体からの視察やマスメディアの取材が殺到しております。
なぜこのように視察や取材が殺到するようになったのかと言いますと、出生率(2.12)を伸ばした村として、NHKを始めとする報道機関各社や、多くの新聞雑誌の取材で紹介され、全国に名が知れ渡ったからだと思っております。
最近では連日3団体から4団体視察の依頼があり、依頼者側の都合で視察を受けることが困難になり、1週間に1度だけ受入れることにして日程を調整しております。
この「町村週報」にも平成18年10月発行の2575号に現地レポート、行財政改革への取組「出生率を伸ばした小さな村の大きな挑戦」として、紹介をさせていただきましたので詳しくはこの号をお読みいただきたいと存じます。
さて、5月15日福島県会津市で17歳の少年が自分の母親を殺し、しかも頭部を切断するという事件が発生しました。昔では考えられないような事件が相次いで発生しております。悲しむべきことです。
そんなことで、今回は視点をかえて、地域づくりの基本は、人づくりであるということを感じておりますので、その中で一番影響のある「学校教育」について述べてみたいと思います。
昔私たちが子供の頃は、就学前の子供は、子供なりに家庭で、又、社会で最低の倫理観を身体をもって教えられたものです。そして入学、このパターンでしたが、現代は少子化、核家族化で、家庭でも、又一般社会でも子供に対し腫れ物に触れる様な風潮があります。このような風潮の中で育った子供の入学する比率が多くなり、学校現場も大変です。
学校現場は、「聖域」であってはならないと思います。「聖域」である無菌状態の学校現場から、好むと好まざるとに関わらず、いずれはドロドロした競争社会に突入して行く過程で、そのギャップが余りに大きすぎて、とまどい狼狽し、挫折し、安易にフリーター又はニート等の選択をすることが多くなるのではと危惧するものです。そこで、このギャップを埋め実社会にソフトランディングさせるには、学校を「聖域化」させるのではなく、先生方と良く連絡を取り合い協力し合い補いあっていかなければ、現世に耐える教育の完成は無いと思います。
そこで学校にお願いし、村を知り村づくりに積極的に参画する機会をできるだけ作ってもらっています。例えば中学生の生徒会も「村を考える」をテーマに、生徒達は放課後、約1ヶ月をかけて現場に足を運んで踏査し、各資料を基に議場の場で提案して来ます。実に迫力ある議会になりますが、議会での答弁は当然ですが、数日置いて更に整理した文書にし、生徒会宛に要望事項の解決について文書で回答します。そうすると生徒達は、財政状況の厳しい中で、僕達、私達が調べ上げ提案した問題について、責任ある具体的な対応をしてくれたと云うこと、こうした事をくりかえすうちに、村に関心をもち知らず知らずに彼らも村づくりの主役になって参ります。
この他に、村内企業の訪問研修や、国際化時代に対応する海外ホームステイ研修に平成5年より今日まで取組んでおります。学校教育だけでは学べない体験を通して、この子らがだんだん成長し、下條村を出ることも残ることもありましょう。また新たな世界に当然出て行くことになります。そうしたとき、安易な誘惑もあるでしょう。又、厚い壁に突き当たることもあるでしょう。そのときに「お父さんも、お母さんも含めふる郷の皆が頑張ってくれていると、私がこんなところで横道にそれたり、少しくらいの壁に突き当たりへこたれていたら、ふるさとに顔向けできないじゃないか」と頑張ってくれると信じています。
このようなことは、行政と学校が密に協力し合ってこそ成果がでるものです。これからも村づくりの基本として、このような取組を続けてゆきたいと思っております。