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 白い森の国”おぐに”を創る!!

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年10月9日

山形県小国町長  小野 精一


白い森交流センター、白い森子ども体験教室、白い森子ども議会、白い森ショッピングセンター等々、「白い森」という言葉は、小国町の愛称であり、代名詞でもある。
山形県の西南端、新潟県境に位置する小国町は、四方を磐梯朝日国立公園に属する飯豊・朝日の連山に囲まれ、東京23区より広い面積を有している。その95%は広葉樹を主体とする山岳山林地帯で、町域のほぼ中央部に市街地が盆地状に形成されている。
1990年、当時企画課長だった私は、過疎地域活性化計画を策定するに当り、まちづくりの戦略的な考え方として「ぶな文化交流圏構想」を打ち出した。小国町が持つでっかい自然との関わりの中で育まれてきた生活文化や産業活動を総じて「ぶな文化」と表現し、これを都市山村の交流テーマとし、地域活性化を目指した。
そして、自然との共生や調和の先進地であるドイツの「黒い森地方」に、町民のまちづくり塾視察団を「ふるさと創生」事業の一環として派遣し、地域開発の手法を学習した。「白い森」とは、ドイツ語のバイスバルトの和訳である。ドイツでは、モミやドイツトウヒに代表される針葉樹の森をシュバルツバルト(黒い森)と呼び、オークやカンバなどの広葉樹の森をバイスバルトと表現している。 
小国を表徴する素材、それはブナと雪である。ブナの幹の白と雪の白からイメージし、ドイツの黒い森地方に対峙できる小国町を築くための開発理念として「白い森構想」を取りまとめた。私は、企画畑に27年間在籍し、この間、様々な地域計画に携わってきた。1972年には「自然教育圏構想」をまちづくりの戦略とした。自然に学び、地域資源を活用していく「ふるさと村」を町域に4つ設定し、ここを核とした生活圏域を、生活の場、生産の場、学習・レクリェーションの場として形成していくものである。こうした考え方が「白い森構想」の基軸になった。
かつては、日本の山岳のいたるところに、冷温帯の代表樹種として広く分布していたブナの森。その多くが伐採され、用材としての経済性の高いスギやヒノキの人工林に転換されたり、農地や都市的土地利用への変更等により、急速に減少の一途をたどってきた。
行き過ぎた開発に対する反省から、自然環境、とりわけ、森林や河川の保護・保全が叫ばれるようになった今日、幸いにも小国町には、ブナの原生林をはじめとする豊かな自然環境が温存されており、その自然に育まれてきた歴史と文化が現代に受け継がれている。
そこで、これらの地域資源を活かして新しい可能性を創造しながら、選んでもらえる地域づくりを政策の理念とし、これを「白い森構想」とネーミングした。その柱は、①社会資本の整備にあたっては、全町が「白い森公園」であるとの認識で事業展開を図り、「交流と定住」のフィールドを築いていく②環境にやさしい活性化情報を町全体で発信していくための機能を強化していく③地域資源の持続的な活用を図るための働く人の育成と場の確保を図ることである。 
こうした中、04年に林野庁を中心に産学官の「森林セラピー研究会」が発足し、森の中で心と体を癒す「森林セラピー療法」に適した“基地”の認定に向けて研究がスタートした。
「人間と森林の共生形態を確立し、新しい文明の創造拠点を小国町に構築する」という「白い森構想」の基本理念と同一の視座であることから、森林セラピー基地候補にエントリーし、全国6箇所の中の1つとして去る4月18日に認定された。
私は、森林だけでなく、温泉やせせらぎなどの自然資源、熊祭り等の伝統行事や山村に伝承される芸能、山菜、きのこ等の伝統料理など、里の生活まで含めた「地域資源」をブラッシュアップしながら活用し、より相対的に健康や癒しの効果を発揮させたいと考えている。さらに、地域産業起しとしてセラピーグッズの開発にも取り組み、白い森の国から、世界に向けて環境にやさしい活性化情報を発信していきたいと思う。