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 我が町の子を思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年8月7日

我が町の子を思う

埼玉県毛呂山町長 小沢 信義


中高生が、友人、親、兄弟姉妹までを殺害する。若い母親が幼な子を絞殺するなど、耳を疑いたくなるような事件が余りにも多い。中学生、高校生や20代の若者が、自己中心的な考え方で起こした殺傷事件は、他人事とは思えぬ心境だ。「何の抵抗もできない幼な子を、どうして、なぜ、こんなにもひどいことを」と、思い悩む日々だ。

身近なところでは、中高生が、ズボンや体育着を腰から下げてはいている姿が本当に見苦しい。このような服の着方を腰パンというらしいが、万が一、悪漢に追われでもしたとき、逃げられるのか。このようにだらしのない姿が何で流行るのか。今の若者の心境が分からない。

もちろん我々が高校生時代(昭和35、6年)にも流行はあった。その頃流行していたのは、細いズボンのマンボズボンで、その後、幅広ズボンに変わったりした。しかし、自分勝手な話かもしれないが、腰パンほど見苦しいとは思わない。人間を服装で判断するわけではないが、腰パンのようなだらけた服装で、授業に集中できるだろうか。人はだらしない姿をしているうちに、心までだらけてきてしまうものではないだろうか。

町の教育施策として、平成13年度から、町費で教員の有資格者を採用して教科支援員制度を立ち上げた。当初は、7名であったが、本年度は15名に増員した。町内に小学校4校と、中学校2校があるので、各校に2~3名の支援員を配置して、主要科目の算数、国語、英語などは、1学級について2名の先生が指導している。 

一方、少人数(25人程度の)学級が良いとも聞いているが、私は35人程度の生徒数がよいと思う。男女別の行動にしても、選択科目にしても、少ないと困ることもあるだろう。競争心にしても、適当に生徒数が多い方が良いと思う。

県下で統一した学力テストも実施されているようだが、子どもたちの学力はどうだろうか。学校の授業について行けず、勉強ぎらいになっている子どもはいないのだろうか。あるいは、肥満の子への対応が叫ばれているが、それと同時に運動不足などで体力に不安のある子はどうなのか等々、気になることの多い今の小中学生だ。

埼玉県内の小学校の学級崩壊が激増しているとの新聞報道があった。早速、教育長に当町の学級崩壊の現状を聞くと、特に問題ないとのことで安心した。

当町では、教科支援員の他に、学校図書整理員6名と、生徒指導員7名を、町費で採用している。町の子は我が子と思いながらの施策である。

町の費用で賄っている先生方の賃金は、生徒1人当りにすると、約1万円である。因みに、学校給食については、1人当り約49,000円もの費用をかけているのである。

私は、「学校は勉強するところだ」と当たり前のことを言っている。特別に町の負担で勉強や生徒指導に力を入れていると胸を張っても、給食に係る費用の5分の1ではないか。必要ならもっと増やしても良いと思っている。

子どもたちを学校でお預かりしていることを、町がもっと責任を感じてもいい。社会が悪いとか、家庭が悪い等といわれるが、子どもをお預かりしている学校は、責任逃れをすることなく、学校教育という重要な責任を果たすべきなのだ。

生徒たちにしてみれば、特別な事情がない限り、今の教育構造では、留年したり、学年を戻すこともない。学力がどうであろうと、機械化されたトコロ天のように押し出され、先生の前から去っていく。偏見かもしれないが、子どもは戻ることができないのだ。大上段に構えて言うなら、義務教育で1人の生徒の人生が、大なり小なり方向付けられてしまうのではないだろうか。腰パン姿でフラついている中学生は、どこで、誰が軌道修正してくれるのだろうと思うと本当に心配だ。

我が町の子が親になるまでの健やかな「育て」は、町も親と一緒に子育ての苦楽を共にさせてもらおうと思っている。