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未来は子どもたちのために!

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年3月27日

熊本県芦北町長  竹崎 一成


平成の大合併の流れの中で、旧田浦・芦北両町は平成17 年1月1日、新「芦北町」人口約21,000人の町として誕生した。
芦北町は、熊本県南部に位置し、水産庁から「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財産百選」として認定された不知火海のシンボル「うたせ船」や特産の「デコポン・甘夏」は全国ブランドとなっている。
私は、平成6年11月、町長就任以来、町政の舵取りを任され、その責務の重大さを肝に銘じ、政治は、行政はだれのためにあるのかを自らに問い続けてきた。また、町政の指針として、「新未来づくり、すべては子供たちのために」を基本理念に掲げ、教育をはじめ、スポーツ・文化、福祉、農林水産、商工観光、国際交流等々、多くの政策の中で、他の自治体にはない個性的な事業の展開によりオンリー・ワンの町づくりを推進してきた。特に、これらの取組が高い評価を受け、内閣総理大臣表彰をはじめ5回にも及ぶ大臣表彰を受賞するなど、本町の大きな財産となっている。その具体的な施策の一部を紹介させていただくこととする。
まず、平成14年2月、「夢見るような味わい、まろやかさ」という見出しで、焼酎「あしきた」の記事が新聞等に大きく紹介された。我々待望の自酒芦北焼酎の誕生である。「らしさ」をキーワードにした町おこしの決定版とも言える。ガラスの瓶とキャップを除けば、米、水、竹炭、ラベルすべて芦北産でまとめあげた正真正銘の地酒を超える自酒である。ちなみに、米は、天皇陛下への献上米として奉納された無化学肥料減農薬栽培の「大関米」、水は「熊本名水百選」、ラベルは一枚一枚丁寧に手漉きをし、天日干しされた伝統和紙「大河内紙」を使用している。何事につけ名称をつけるのは難しいが、地域や自治体の名称をそのまま商品名にするには相当の思い切りを必要とする。周囲を見渡しても中々そのようなものにはお目にかかれない。
このことは、結論づけるとまさしく、郷土「あしきた」に対する自信と誇りの表れ以外の何ものでもない。近郊近在は勿論のこと、広く九州、全国、世界を物かはともしない強い信念と進取の精神がここに象徴されている。
政治も行政も地域の活動も個々人の営みも例外なく、次の世代、後を継いでゆく子供たちのために存在している。申し送るべき有形無形の遺産、その中で、すぐれて残すべきもの、それは郷土に対する自信と誇りのほかに見当たるまい。
また、芦北町では、急速に進展する国際社会の中で、国際化・国際交流はいかにあるべきかを哲学的に考察し、官民が一体となった多種多様の事業を展開している。その中で、芦北町及び芦北町国際交流協会では、内戦で教育環境が荒廃しているカンボジアに学校を贈るための募金活動に取り組み、既に3校を贈呈し、さらに、現地カンボジアへ子供たちを派遣し、体験レポートを取りまとめ、その発表会を開催するなどしている。このような活動を通し、子供たちの豊かな感性の醸成と世界に視野を持つ人材の育成に努めるとともに、健全な愛国心を育てることにとにも努めている。
一方、文化の振興では、火縄銃を通して、中・近世における郷土と日本の歴史・文化を学んでもらおうと、平成15年10月1日、葦北鉄砲隊を組織した。
「肥後国史」によると江戸時代の芦北地方には、細川藩のもと、四百数十人の地侍で組織する鉄砲隊( 葦北御郡筒《あしきたおごおりづつ》)があり、薩摩や相良に対する防御に当たっていた。また、1637年に起こった「天草・島原の乱」の原城総攻撃の際にも活躍したことが知られている。
平成の葦北鉄砲隊は、その火縄銃の技術を現在に体現し、各種スポーツ大会、イベント等をはじめ、町内小中学校の総合的学習の時間や高齢者の生涯学習の場などに出前講座を開催し、子供たちに郷土の歴史・文化等を伝授するとともに、イギリス・リーズ市にある王立武器博物館主催の「徳川将軍フェア」への葦北鉄砲隊の招聘、またそのロンドン公演、さらに「種子島鉄砲サミット」や「紀州鉄砲まつり」に遠征するなど、国内はもとより国際的な活動を展開している。
今年は、あたかも、私に取って地方政治に一歩を踏み出した30年の節目の年である。私の座右の銘は、「義を見てせざるは勇無きなり」である。義とは義なり、義に向いては水火をも辞せざるは勇なり。勇なきものは人の上に立たしむべからず。常に問題意識を持ち、現状に満足せず伝統の上に創造を、秩序の中に改革と進歩を。社会正義を忘れず、責任感強き人間に成れ。ただし「匹夫の勇」にならぬよう。
政治家は「次の時代に何を残せるか」でその価値が決まる。また、職員にも「ナンバー・ワンを目指すのではなくて、オンリー・ワンを目指せ!」と常に檄を飛ばしてきた。ナンバー・ワンはいつかその座を譲る日がくるが、オンリー・ワンの座はゆるがない。地方自治の行方に懸念をはさむ声もあるが、国より一歩も二歩も前を行く町が日本全国には多々あるはずである。我が芦北町もオンリー・ワンで異彩を放って行きたい。