長崎県宇久町長 田中 稔
宇久町は、急速な少子・高齢化が進んでおり、昭和の大合併の時に11,684人いた人口も平成17年4月の人口は3,493人と なり、世帯数は1,501戸、1戸当たりの家族数2~3人、ほとんどが老人2人世帯と言っても過言ではありません。
どれくらい高齢化が進んでいるかとなれば、65歳以上が1,347人(38.56%)、70歳以上の人口が1,068人(29.8%)です。 そしてどれくらい少子化が進んでいるかとなりますと、小学校が2校あり、その内の1校の入学者が1名、人口の多いところの、もう1つの小学校に16名となっております。今後ますます高齢者は増加し、子供の数が少なくなっていくことは確実です。
このような少子・高齢化の中、今回の平成の大合併において、宇久町は平成18年3月31日に長崎県佐世保市に編入合併することを決定しています。
4千人弱の住民が、安全で安心して暮らせる「持続可能な島社会」を維持するため、1島1町で生き残れるか、あらゆる角度から検討、研究し、25万都市の佐世保市との合併を決心致しました。
我が宇久町は、1島1町で昭和30年に誕生し、現在まで半世紀50年、高度成長の波に翻弄されながらも、国からの交付税による財源再配分により、全国一律の住民サービスを行ってきました。その結果、生活環境、防災、福祉、産業等の施設の整備が充実されたところです。
しかしながら、バブル崩壊後の長引く経済の低迷の中、地方財政の破綻が足下まで迫り、国の「三位一体」改革で「交付税制度の改革」が最大の焦点と言われる中、我々小規模自治体の経営は大変厳しいものと判断いたしました。合併することは現在のシステムの自治権が無くなることになりますが、全国の合併の流れを、町民は動揺することなく受けとめています。
市町村合併については、1万人以下の小規模自治体は合併するも地獄、しないにしても地獄と言われますが、合併することによって、以下のことは守っていきたいと考えます。
1、介護保険をしっかりやりなおすこと
宇久町の介護認定事業所は、特別養護老人ホーム(看護師3名、介護員18名、生活相談員・介護支援専門員1人、入居者数40名)と、宇久町社会福祉協議会(看護師2名、訪問介護員8名、介護支援専門員6人、介護福祉士7名、社会福祉主事7名)があります。特別養護老人ホームは昭和63年4月から開園し、全国で初めての小規模特別養護老人ホーム(30 床)として認可された施設です。平成17年3月までは直営で経営していましたが、平成17年4月からは民間に経営委譲しました。自宅介護が困難な老人の入所施設として、島には無くてはならない施設であり、島で家族とふれあいながら介護が可能になっています。宇久町社会福祉協議会はデイサービスと訪問サービスを主体とした介護サービスを行っており、施設介護を受けられない老人に強い味方となっています。この2つの事業所で施設支援型と在宅支援型がうまくかみ合って安心できる介護体制を維持していきます。
2、医師の確保、診療施設を充実させること
離島医療の確保は、「しま」故の大きな課題であり、常に問題とされています。特に医師の確保は最重要課題であり、長崎県では離島・へき地医師確保支援センターを平成16年度から設置し、県として医師を雇い入れて、いつでも離島の市町村が医師が必要なときに派遣できる制度を確立しています。宇久町も現在1名の医師を派遣いただいて、 医療の充実を図っています。島には耳鼻咽喉科や眼科が無いため、本土に治療のため渡らなくてはなりません。診療科目の充実にも取り組む必要があります。
3、子供の教育の充実、大人の生涯学習の場を設けること
宇久町の少子高齢化は深刻であり、高齢化率は約38%と高く、出生者数も年間20名以下と激減しています。島には、保育園から高校まで学べる学習環境はありますが、近い将来生徒数の激減で学校として維持できないことも考えられます。そこで、長崎県は宇久島を対象に小中高校一貫教育の研究に取りかかる事にしています。
4、水資源の確保及びごみ、し尿などを含めた環境の整備をしっかりすること
水道、ごみ・し尿は現在100%の普及率でありますが、十分町民のニーズには応える体制を維持します。
1島完結型での環境行政は、多大な行政負担を生じますが、資源のリサイクルまで責任を持って対応できる仕組みをつくります。
本土と外海離島との合併は、全国でも希なケースですが、町民と一体となって、合併して本当に良かったと言えるまちづくりをしてまいりたいと考えています。
【昭和の合併について】
昭和30年に旧平町と旧神浦村が合併して、「宇久町」が誕生しました。宇久町は、現在「長崎県佐世保市」と平成18年3月31日に合併することを決定していますが、宇久町として 50年の歴史があります。昭和30年に旧平町と旧神浦村が合併して「宇久町」が誕生したわけですが、時の平町の町長がこの時期に「佐世保市との合併」を隣島の小値賀町と旧神浦村に呼びかけたそうです。両町村の反対があって実現はしませんでしたが、佐世保市との合併が決定した今日、半世紀を経た平成の大合併、先人の思慮の深さを感じます。